Truth of World War II – What did Japan fight for
第二次世界大戦の真実–日本は何のために戦ったのか?
前回に引き続き『第二次世界大戦の真実』を取り上げます。今回、焦点を当てたのは欧米系と思われる視聴者からの賛同コメントです。内容から察するに多くはユダヤ陰謀論系の人たちのようですが、日本と第二次世界大戦を扱った動画でこれほど明確に日本の肩を持つ欧米人のコメントは珍しいので、翻訳してご紹介したいと思います。
IP(アジア系)
私はこの動画に同意する。ある意味、私たちはたしかに日本に感謝すべきだと思う。私たちアジア人は何世紀にもわたってヨーロッパ人の奴隷となっていたし、日本はその境遇から解放してくれたのだから。
もちろん日本もまた私たちの国を占領した。短期間だったけどね。しかし日本はそれに対しても賠償金を支払ってくれた。であればヨーロッパ人も我々に賠償すべきじゃないのか。なのに彼らはどうしてそうしないんだ? 彼らは何世紀にもわたって我々を奴隷にし、我々の女性を強姦し、そして経済的に搾取し続けてきたんだぜ。
AB(アメリカ)
これはアメリカから日本へのメッセージです。
第二次世界大戦で私たちの国があなたがたの国と戦ったことを許してください。
その昔、私たちは自主防衛を旨とする独立した国家でした。
アメリカ人は敬けんなキリスト教徒です。私たちは自由を愛しています。私たちの歴史に誇りを持っています。
しかし、そんなアメリカ社会に知らぬ間に忍び込んできた者がいます。ユダヤ人です。古代から伝わる魔力を持つ彼らはいつしか私たちの社会を乗っ取ってしまいました。私たちは彼らが繰り出す悪魔的な呪文に免疫を持っていなかったのです。そうして私たちは盲目にされ、やがてその魔王の完全な支配下に置かれてしまったのです。
誇り高い正義の国だったアメリカはあの戦争でおぞましい犯罪を犯してしまいました。私はその現実に目覚めた多くのうちの一人です。
私は、このユダヤ人という名の呪いができるだけ早い時期に取り除かれることを望んでいます。
私たちアメリカ人は、神の名の下に、そしてあふれる涙とともに、日本人の皆さんに謙虚に謝罪いたします。
私たちを許してください。私たちは頭を下げるだけでなく金銭的な補償も含めできる限りのことをしたいと考えています。
旭日旗があなたがた日本国民の誇りの象徴として堂々と空にはためく日が来ることを、そして正しい歴史が取り戻されることを祈っています。ありがとうございました。
U8(不明)
私は40年以上にわたり、第二次世界大戦について勉強してきたけど、この動画が言ってることは正しいし、真実だ。現在、共産中国と韓国、北朝鮮が日本ばかりを目の敵にしているけど、それじゃ日本がかわいそうだ。しかもそうした非難の多くは、彼らが日本人に対して抱いている劣等感の裏返しでしかない。私は日本を愛しているし、日本人を尊敬している。それは一年間日本に滞在した私の経験から導き出された結論でもある。
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漫画 日中戦争は中国共産党が仕掛けた謀略だった!
コメント
悲しいね。
戦いで、なくなった日本人は今アジア中を現地人の笑顔が溢れてるかを見てもらえたらなと思う。
本当の植民地だったアフリカを見てほしい。
未だに世界の手をかりてワクチンや食料、インフラ、ODA、ボランティアで成り立っているのを。
どのアジアも確かにまだ全てが物質的な豊かではないと思う。
貧富の差を見ても。
ただ笑顔が溢れてるその事は何より幸せな事で大きな一歩に踏み出せるその貢献に手助けした日本人は賞賛を受けなくとも尊敬をされるべきだし、それを少しでも知ってもらいたいですね。
ブログ主様。お疲れ様さまです。
ありがとう。
ようつべに書き込むのが面倒だからここに書き込むけど、この動画は日本語版から英訳されてると思われる。できれば原文を探し出してそれを乗せ、さらに原文の所在が分かるようにしたほうがいい。
勝っても負けてもアジア解放
ここまで考えて戦争を始めてたなら
当時の人達は凄すぎるな・・・
保守系歴史学者を自称する人物が、”間違いだらけの戦後史”だか”間違いだらけの昭和史”とか言う本を出したそうである。
私はこの本のタイトルを見て非常な違和感を感じた。何故なら、この人物が言わんとしていることは「昭和史または戦後史は存在した」と認めているからである。
「存在はしたが間違っていた」と述べているのである。
私は昭和史、戦後史など、もとより存在しなかったと考えている。
存在したのは学問としての歴史ではなく、歴史研究家がそれぞれ何の根拠もなく好き勝手にでっち上げた歴史観の羅列である。
学問としての体を成していないのである。個々の自称”歴史研究家”が情緒的主観を羅列したものが昭和史として君臨してきたのである。
学問とは厳密なる資料、文献、自然法則、観測結果、実験結果にもとずいて類推、分析され、結論づけられる物である。ところが、我が国の昭和史は自称歴史学者が、日本共産党史観を正当化するために、勝手にでっち上げた、歴史観であり、何ら科学事象的根拠を持たない。
こんな物は学問ではないと我々科学者は考える。
科学の世界では実験結果による証明を得るまでは、物理理論は仮説として扱われる。
例を挙げれば、今年度ノーベル物理学賞を取ったヒックス粒子などはその典型である。ヒックス博士がヒックス粒子の存在を予言してから、その存在が実験的に確認されるまで数十年を必要とした。実験的に確認されなくてはノーベル賞は貰えないのである。ましてや、戦後我が国の歴史学者が行ってきた共産党史観を正当化するための歴史捏造を学問と呼ぶことは無理である。
いわゆる既存の”昭和史”とは左翼系学者と保守系歴史学者同士の言い争いであって、学問ではない。いずれも客観的史実の解析を度外視した、主観の羅列に過ぎないからである。子供同士の罵り合いと同類である。
何故歴史学ではこのような主観と偏見、好き嫌いが学問の世界でまかり通るのであろうか。我々科学者の世界では考えられないことである。そこで今日は、”情緒主観歴史学”の発生を抑える手法を提案しようと思う。
私は計量歴史学という新たな学問領域を提唱する。
この学問において、歴史事象は定量化され数式によって統計的に表示される。それ故、科学と同じように研究者の主観や情緒、イデオロギーに左右されることはない。
一例を挙げる。
我々科学者がよく使用する変数に相関係数という物がある。これはAと言う事象とBと言う事象がどの程度の関連性を持って発生するかという、その相関性を表す係数である。Aの数値が増大すれば、Bの数値も増大する、または減少する時、両者のあいだに相関性が見られるという。
相関の有無は,2つのデータ群を散布図とすることにより見当をつけることができる,客観的に判定するには2つのデータ群の相関係数をもとめて判断する.相関係数は-1から+1の間の数値をとり,-1,+1の時は完全相関(順に逆相関,正相関)といい,2つのデータ群に強い関連性が存在することと示し,一方,0 の時は無相関といい,2つのデータ群に関連性がないと判断する。 相関係数の詳細については以下のページを参照されたい。
http://www.sist.ac.jp/~kanakubo/research/statistic/soukankeisuu.html
さてこの相関係数を大東亜戦争という歴史事象に当てはめてみよう。上記で言うAというデータ群を散布図の縦軸として、日本軍の支援の下、新たに独立を勝ち得た国家の数とし、Bについては、開戦から各国を独立させるまでに要した日本軍の各国駐留時間、月数を横軸とする。
日本軍の進出後、最初の独立国家は昭和18年8月1日に独立したビルマ国である。以後昭和18年10月14日にフイリピンが独立、18年10月21日に自由インド仮政府が独立、昭和20年3月9日にベトナムが独立、3月12日にカンボジア王国が独立、4月8日ラオス王国が独立、インドネシアが8月17日に独立宣言している。ここでは独立宣言も独立したものと見なす。
本ブログではグラフを書き込むことは出来ないので、写真でグラフを表示する。横軸に独立までの日本軍による占領期間、縦軸に独立数をとり、散布図を作成すると、明確なる日本軍駐留期間と独立国家数の間の相関関係が浮き上がってくる。
http://blog.livedoor.jp/giranbarekanjya/archives/51408520.html
日本のおかげで植民地がなくなったわけではない
第二次大戦前から、植民地解放の動きは続いていたし、力による現状変更の試みが国際的なトレンドでなくなったのは第一次世界大戦だ。
その遅れたトレンドによって経済恐慌を解決しようとした日本が国際的に非難を受けたのが実際のところだ。
日本は解放者の仮面をつけて東南アジアに入った。しかし仮面を脱げば、それまでの白人と同等かそれ以上の圧政者にすぎなかった。
現に民族運動家が日本軍に期待していたインドネシアやマレーシアでは現地民の積極的協力が南方作戦時には受けられたが、既に独立の確約と暫定自治政府を擁していたフィリピンでは猛烈な反抗を受けている。
大東亜共栄圏や大東亜会議といったものは研究室レベルの机上の空論でしかなく、単に日本軍の戦力不足や統治能力の不足、物資不足を補う為の口約束でしかなかった。
敗戦後、一部の将兵がその罪滅ぼしに独立運動に協力したこと、また日本軍の利益の為に整備したインフラや現地人官吏、国民軍が独立闘争に役立った事で、リップサービスを受けたに過ぎない。
現地知事として善政を行った日本人の役人も居るが、それは個々人のレベルで、政府や軍の方針には反していたことを無視してはならない。
日本人は民族自決、自治独立の擁護者ではなく、
下記グラフを見て頂きたい。数理歴史学の分析結果第2弾である。
このグラフは、縦軸にアジア・アフリカの白人植民地の数、横軸に1910年から1990年までの西暦年代を表したものである。
このグラフは白人列強の植民地の数が大東亜戦争の開始から激減していく様子を表している。
”坂道を転げ落ちる”という表現があるが、大東亜戦争が始まる迄、植民地喪失は微々たるものであったものが、開戦後は、坂道どころか、崖を転がるように転落していく様子を示している。
崖の始まりが1941-1945年であることも明かである。よって、欧米列強の植民地喪失は大東亜戦争からスタートしたことになる。
やはり、大東亜戦争はアジア・アフリカ解放戦争だったと言う事である。
備考:
1919年のアフガニスタン独立から1982年のブルネイの独立まで、68ヶ国の独立をデータとして採用した。大東亜戦争中、日本軍の進駐下で独立した東亜各国はその時点を独立達成日として計算した。
http://blog.livedoor.jp/giranbarekanjya/archives/51408623.html
世界が植民地支配は悪であるという認識になったのは,日本のおかげだと思います。
日本のせいで欧米は植民地支配を継続することも新たにする事も出来なくなりました。