あなたはどっち? 進出不可避派VS不要派。満州をめぐる日本人同士の歴史戦。

歴史戦

「あの戦争」のターニングポイントは満州事変だったのか?
もしそうならそれ以外にどのような道をとればよかったのか?

YOUTUBE上に「あの戦争」をめぐる日本人同士の論戦がありました。論点となったのは、戦争回避のための代替案があったのかどうか。そしてそのターニングポイントとして満州進出の可否について熱い論争が交わされていました。なかなか興味深い内容でしたので、その一部をここに転載させていただきます。

*1年以上にわたる論争でコメント数も200以上ありますので、ここでは最初の部分のみご紹介しています。関心のある方は元動画で続きをお読みください。
*話の流れを損なわない程度にコメントのすべておよび一部を捨象しました。

 

(以下、論争)

●SA
かつて私も自虐史系でしたが、もう一つしっくりこなかった件は、白人の世界支配の事実をどう自分なりに組み入れるかでした。でも始めから自虐史観は無理、不合理だったたのです。一旦見方が変わるとすべて辻褄があってきました。 持論。1945年8月15日、日本が世界を勝利に導いた。その日から日本人の敗戦が始まった。

 

●DT
日本人は全然自虐的とは思いません。
白人の世界支配に抵抗して日本がアジアを支配しようとして、大失敗しただけの話です。
あれだけ無謀な戦争をやれば、敗戦は必然であり、少なくとも1500年の歴史を誇る日本が滅亡しかけたことを反省すべきであり、それを日本の勝利などと強弁する方が余程痛々しく自虐的に感じます。

 

●SA
+DT
日本が滅亡しかけた? まったく同感です。で、他にどうすれば日本はもっと安易に犠牲者もなく滅亡を避けられたのでしょうか?

 

●DT
+SA​​​​
日本が植民地化される可能性があったのは幕末だけど、英仏米露の緩衝地であり、薩摩の示した強さからも、その時点ですら日本全土を植民地化するのは難しかったでしょう。日本が失敗したのは侵略したからであって、おとなしく朝鮮半島を守っていれば、世界五大国である日本が植民地化されるなどあり得ませんw

やっぱりあなたは自虐的な歴史認識ですねw

 

●SA
(日本が朝鮮半島を守るだけにして、大人しくしておけばよかった。) 其れがあなたの見解ですね。もしそうだったら今の日本、アジア、世界の状況はもっと良くなっていたはずだと信じてるのですね。それとも日本は良かったけれど、アジア、世界のことは知ったこっちゃ無いと言う事でしょうか。 貴重なご返事有難うございました。私の見解は、諸々の困難な状況の中で祖先の選択した道は、決して間違ってはいなかったと、今日は思っています。別に自分の見解などにこだわりは無いので 明日は分かりませんが。誰か新しい情報を提供してください。

 

●DT
満州事変勃発時、国民党は天下統一五分前と言われていました。
日本の大陸侵略は、大陸の赤化の大きな要因となったことは間違いありません。
毛沢東が日本に感謝したという話はご存じでしょう。
私は大陸の赤化は人類史上の一大悲劇と捉えています。
いずれにせよ、日本の大陸への侵略はアジアの星であった日本の大きな蹉跌であっというのは、当時から当然の評価でしょう。
是非とも広く見聞を広めてください。
私もまだまだですので、がんばります。

 

●SJL
+DT日本が滅亡しかけた?そのとおり。では他にどうすれば日本はもっと犠牲者もなく滅亡を避けられたのか?

 

●DT
+SJL
支那事変の戦略的敗北を認めて、中国から撤退してればよかったに決まってます。
国民全員が身を切る覚悟で、聖域なき改革を行うしかなかったんでしょう。

米国が全ての侵略国に石油の禁輸を行うという警告を出したあとに、仏印進駐するなど余りにもお粗末です。
大日本帝国が滅亡した原因はまさにあなたがご指摘した通り、政府が軍をコントロールできなかったことです。

 

●SJL 1 年前
+DT
>それこそあんな土地(管理人注:満州)に莫大な投資をしたことで、
>日本は撤退もできなくなったということでしょうね。
これ主張すると、日本の無策さ=共同謀議の欠如=無計画性、つまり侵略計画の欠如を導いてしまうが、よろしいかW

>>関東軍が撤退した場合、満洲邦人の身の安全は保証されていたか。
>>反日暴動の犠牲になるのは目に見えているが。
>そもそも当時の満州は中国人の身の安全も保証されていないような戦
>乱の地です。

馬鹿だなあ。だから何回も言っているように日本政府の無策さを指摘すれば、おたくのほうが不利になりますよ。無策であったことは共同謀議がなかったことの証拠。そしてそれは侵略計画がドイツのようにはなかったことを示す要素のひとつとなっている。

>実際に満州国が建国されてからも抗日パルチザンは暗躍し、
>邦人の身の安全は保証されたといえるのですか?

これもこちらに有利になる意見である。というのも、柳条湖事件は起こるべくして起こった、その責任支那側にある、ひいては満州事変の責任は支那側にあるという事につながるのである。DTの頭の中はどうなっているんだかwww
オウンゴールの連続だな。

 

●DT
+SJL
(管理人注:代替案を示せと追求されて)
そもそも、なぜあなたにそのように追求されなければならないのですかw
私は最初から有効な代替案があると明示していましたっけ?
代替案などなくても、戦争するぐらいなら中国から撤退したほうがよかったというのはわかりきったことでしょう。
ちなみにあなたは中国から撤退していればよかったと思いませんか?
どうせ日本の陸軍力では守り切ることのできない満洲に莫大な投資するぐらいなら、朝鮮や東北に投資をすべきだったとは思いませんか?

しかも、中国撤退ができなかった状況というのはまさに日本が自ら作り出してきたことです。
その嚆矢となったのが満州事変です。
結果論的には大日本帝国には満州国を安定的に維持する能力も大義もなかったのが現実ですから、大日本帝国滅亡のpoint of no returnは満洲国承認であったと私は考えます。

日本は満洲事変の処理において国際協調路線をとっていれば日本が現実のような悲惨な敗戦を招いた可能性は低かったでしょうね。
多くの国民の生命と財産を失い、精強な軍隊も国際的地位も名誉も広大な海外領土も、日本固有の領土も失うような敗戦を招いたのは、畢竟日本みずからの選択です。
少なくともWWI後の日本は、大国の意向で踏み潰されるような小国ではなく、強大な覇権国家として、国際政治を左右する力を有していたのですから、その滅亡は正しく日本人が彷徨いながら選択した結果であり、その責任は我々にあります。

諸外国の謀略に乗せられて、いいように転がされて日本が敗北したという貴殿の歴史認識は極めて自虐的と私は感じます。

 

●DT
>日本の無策さ=共同謀議の欠如=無計画性、つまり侵略計画の欠如を導いてしまうが、よろしいかW>
私は最初から日本の無策さを批判しています。その点に関してはあなたに激しく同意!と何度か書いたとおもいますが。
計画がなくとも結果的には侵略としか言い様がありませんよね。

 

●SJL
+DT
満州事変におまえがこだわっていた理由は元来中国侵略の端緒ことであったはず。んんかそれがいつのまにか、まあ私との論争の中でwikiなどで調べてお勉強したんだろうが、日本滅亡の嚆矢となったといっている。

>日本は満洲事変の処理において国際協調路線をとっ
>ていれば日本が現実のような悲惨な敗戦を招いた可能性は低かったでしょうね。
希望的観測である。もっとひどいことになっていたはず。少なくともソ連に侵略されていた。まあ左翼のおまえにはこの上もない状況だろうが。

 

●YK
+DT
満州事変の処理において国際協調路線をとるべきだったというお話ですが、それは満州を国民党に任せるべきだったということでしょうか? それともアメリカにくれてやれ(共同開発)ということでしょうか?

前者であれば、ソ連の赤化政策にたぶらかされることなく国民党政府が満州を安定させられるという保証はあったのでしょうか?

後者であれば、その結果、ハワイ、フィリピン、満州と日本はアメリカに周りをすべて取り囲まれる形になってしまいます。さらにイギリスやオランダ、フランスなど列強の勢力範囲を考慮すればそれこそ太平洋の西はずれにぽつんと取り残された孤島のような状況になってしまいますが、そのような状況下でも日本は未来永劫にわたり英米と仲良くやっていけるという保証はあったのでしょうか?

また満州事変は大恐慌により世界経済がブロック化し、自由貿易体制が崩れたことが遠因だと認識していますが、当時、不況から脱出するには他にどのような手段があったのでしょうか?

 

●DT
+YK
リットン調査団に対しては柳条湖事件が日本の謀略であったことは秘匿できていたので、中国人が首班の政府であっても、リットン卿の提案通り、日本の権益は残せたはずです。
そこに米英の資本を入れることは、くれてやることではなく、「門戸開放してやったぞ」と恩を着せる形にできた可能性はあるのではないでしょうか?
しかも満洲の米資本を守る現実のちからは当然日本が持ちますから、その意味でも日本が米国に恩を着せることができた可能性がありませんか?

自由貿易体制が崩れたとは言っても、日本は開戦するまで英米と貿易していました。
今すぐには資料はありませんが、満洲国建国後の日本の貿易額は徐々に満州相手が増えますが、結局開戦までは英米の方が多かったはずです。

不況を脱するのは難しかったでしょうが、そのために他国を侵害することは道義上許されることではなかったし、結局そのために日本には最悪のカタストロフィが訪れたのですから、それは日本の大陸侵略の一因とは言えても、正当化する理由には成りえません。

 

●YK
+DT 恩に着せることで日本の権益を残すことはできたかもしれませんが、問題はその後いつアメリカがそれらも根こそぎ奪いにくるかわからないことです。
満州の米資本を守る現実の力が日本にあるといっても、それは最初のうちだけです。当時アメリカはすでにフィリピンにまで軍事基地を置いていたのですから。それに仮に日米が対立した場合、その後の歴史をみてもわかるようにアメリカがそのままおとなしく引き下がるとは思えません。なにより日本はその必要な資源のほとんどをアメリカに依存しており、資源安保という点でいえば、当時日本はすでにアメリカに首根っこをおさえられていた状態だったわけですから。

そんな状態にある日本が、アメリカとその後も対等な外交関係を維持できるというのはあまりにも楽観的にすぎる考え方ではないでしょうか?

いずれにせよ、そのような希望的観測ともいえない根拠のあやふやな「可能性」をもとに国家百年の計を決められたら国民としてはたまったものじゃないですよね。

 

●DT
+YK
>そんな状態にある日本が、アメリカとその後も対等な外交関係を維持できるというのはあまりにも楽観的にすぎる考え方ではないでしょうか?>
そもそも石油という首根っこを抑えらている時点で日米は対等ではないんですよ。
それが開戦と敗戦により、軍事・外交の自由を奪われた完全な属国になったということです。
現在よりは日米関係は対等に近かったと思いますが、ご指摘の通り、いずれは開戦し敗北していた可能性もありますが、逆に満洲の米国資本を人質に取ることもできたかもしれませんよね。
それに、米国とは対等でなくとも、日中、日朝関係は今のようないびつなものではななかったでしょう。
もちろん、現実は違うのですから、このような希望的観測を述べても詮無きことではありますが。

>いずれにせよ、そのような希望的観測ともいえない根拠のあやふやな「可能性」をもとに国家百年の計を決められたら国民としてはたまったものじゃないですよね。>
その言葉は是非とも支那事変、大東亜戦争を行った当時の指導者たちにお伝えください。
当時はあやふやな可能性も「必勝の信念がなければ勝てるものも勝てぬ」「精神力で覆す」というさらに大雑把なものでした。
個々の軍事作戦においても希望的観測に基づくものが多かったのは残念でなりません。

 

●YK
+DT
>逆に満洲の米国資本を人質に取ることもできたかもしれませんよね。
「かもしれません」では通用しないと何度も言っているでしょう。そもそも最重要資源である石油を押さえられた状態でどうやってアメリカを脅せるんですか? 石油を止めるぞといわれたらそれでアウトでしょう。

>その言葉は是非とも支那事変、大東亜戦争を行った当時の指導者たちにお伝えください。

それは、日本に「侵略戦争」の意志がなかった証拠でもあります。
それらが仕掛けられた戦争だったからこそ、日本はあれほどあわてふためいたのです。だからこそ、精神力などというあり合わせのものに頼らざるを得なかっただけの話です。

自ら強固な意志をもって仕掛けた戦争なら、もっと周到な準備と練り上げられた戦略のもとではじまっていたはずです。そうでなかったということは、日本に侵略戦争の意志がなかったということです。

こういうと、軍部はみな馬鹿だったからとかまた妙な理屈を出してくるのかもしれませんが…。

あなたがたは事実はそうでないのに「日本が侵略戦争をした」という前提で、無理矢理つじつま合わせをするから、あちこち矛盾が出てくるし、おかしな理屈になってしまうのですよ。

「日本人はなぜあのような無謀な侵略戦争を始めたのか?」などという常套句が戦後半世紀以上たった今もマスコミで、それがいかにも知的で誠実な質問でもあるかのように繰り返し使われていますが、そのような質問には未来永劫誰も答えることができないでしょう。なぜなら問い自体が間違っているからです。

正しい問いは、「日本はなぜあの戦争に巻き込まれたのか」です。

 

●SA
+DT あなた曰く (実際に有効な代替案などなかったから帝国は滅亡まで突っ走ったんでしょう。
しかし、有効な代替案を出せなかったことこそ、日本帝国の限界であり、己の限界をわきまえず滅亡したことは反省すべきことでしょう。)
整理しましょう。 日本帝国に代替案など思いつかなかったと言う事ですね。優秀なあなただったら日本に敗戦をもたらさない、最善な代替安があったと言う事ですね。よろしいでしょうか。其れを聴きたいとお願いしてるのです。
仮に代替案など無くて、唯一の選択の結果、日本を始め、世界が不幸な目にあったと言うなら、その唯一の選択を非難するのは理にかないません。他に方法は無かったわけですから比べようもありません。YK氏が指摘するように何故そんな状況に巻き込まれたのかを検証するのが筋です。
いずれにしろあなた自身の鋭い代替案を期待してます。

 

●DT
+SA
>仮に代替案など無くて、唯一の選択の結果、日本を始め、世界が不幸な目にあったと言うなら、その唯一の選択を非難するのは理にかないません。
有効な代替案がないというのは、仮定でしかないため、どの程度有効かなど評価しようがないということです。
まさに
>他に方法は無かったわけですから比べようもありません。>です。
しかし、唯一の選択であるというのは、当時の日本政府のプロパガンダです。
戦争をやると決めた以上、そのようにプロパガンダをするのは当然のことです。
決定的な破滅を避ける道は、15年戦争の最中に何度かあったでしょう。

「有効な代替案をIFの世界では見いだせない」ということと、実際に「唯一の選択肢だった」と評価するのはかなり開きがあります。

 

●SJL
+DT
>しかし、過去の大失敗の原因を他者のせいにして、自
>分たちは他に選択肢がなかったなどと開き直って反省し
>ないような姿勢はいかがでしょうか?
だから、大東亜戦争開戦に代わる代替案をDT氏は持っているわけでしょう。
それを提示すればいいわけだ。いつ提示するのか?

 

●YK
+DT >まさに希望的観測で戦争に踏み切った昭和の日本政府・軍部を糾弾すべきではありませんか
糾弾したところでいったい何が変わるのでしょうか? 糾弾すれば将来の戦争を防ぐ妙案が生まれてくるとでもいうのでしょうか?

 

●YK
+DT>日本が主体的に朝鮮半島を独立させていれば、少なくとも現在の反日が建国の理念である両国とは異なり、日本の影響を強く受けた統一朝鮮が成立していたはずです。

まず朝鮮人に独立国家を運営する能力があったのなら、日清日露戦争など戦う必要はなかったはずですね。能力がなかったからああなっただけの話です。それにもしあったとしたなら日本敗戦後、どうして自分たちで統一朝鮮を作れなかったのですか?それどころかまたアメリカという外国に守ってもらわなければならなかったのはなぜですか?

>支那事変中止、日米和平に決まっています。
支那事変に深入りしたのはたしかに日本の失策でした。しかし、当時はソ連を含む列強各国が日中を戦争に追い込もうとしていたのです。仮に1937年は、なんとか丸く収めたとしてもその後、第二第三の支那事変が起こらないとは限りません。

もともとは満州をめぐる日米の角逐が原因なのです。
満州をアメリカに与えないかぎり、アメリカの対日挑発は手を変え品を変え、続いていたでしょう。

だから支那事変中止も日米和平も、その時点ではもう無理です。すくなくとも満州事変以前にまでさかのぼらないと解決は不能でした。その上でお聞きします。満州事変以前のどの時期にどう手を打てばよかったのでしょうか?

 

●DT
代案は必ず負ける戦争をしないということです。
ハルノートを受け入れることすら、現実の敗戦よりはよほどましです。

そして、ハルノートを受け入れるのが亡国であるというのは戦争を推し進めた指導部のプロパガンダです。

 

●SA
+DT
あなた曰く ( 代案は必ず負ける戦争をしないということです。
ハルノートを受け入れることすら、現実の敗戦よりはよほどましです。)

ついに出ましたね。有難うございました。 他の代案は無いですね。?
ひたすら欧米列強の白人に対し恭順の意を示さざるを得ず、負ける戦争を避けたアジア。アフリカの国々、あるいは国としての機能を持ち合わせていなかった世界の地域がどんな仕打ちを受けたか、まさか忘れたわけではないのでしょうね。
あなたの信ずるその代案は、白人にとっては大正解でしょうが、非白人民族にとっては、とんでもない馬鹿げた仮説である事は、明らかです。

 

●SJL
+DT

>ハルノートを受け入れることすら、現実の敗戦よりはよほどましです。
ハルノートを受けいれるべきだったとのことだな。

>ハルノートを受け入れても、日本は米国の属国になるわけで
>はありませんよ。少なくとも現実よりは米国と対等です。
>ハルノートを受け入れられなかった=中国侵略をやめられな
>かったのはあくまで日本の国内事情によるものです。
これが希望的観測である。これに基づいて仮定を生み出すから「バカ」と言われるわけだ。そういうわけで、この部分の意見は無効である。こんなことをしていると誰にも相手にされず、信用されなくなるぞ。

>日本政府にハルノートを受け入れられるほどの政治力や統制力があれ
>ば、そもそも事態はあそこまで悪化していませんけどね。
「日本政府には当時ハルノート受け入れられるほどの政治力や統制力」がなかったということを前提に意見しているな。

さてここでDTの馬鹿の法則が発動した。上記において開戦の代替案としてはハルノートを受け入れるべきだったといっておきながら、その舌の根が乾かないうちにもうハルノートを受け入れる体力は日本にはなかったと主張している。できないことを刷ればよかった?この論理、とんでもない錯誤である。馬鹿である。間抜けである。

歴史についてどうのこうの言えるレベルではない。そもそも、まともな思考も言語活動もできていないのである。

もう一度チャンスをやろう。大東亜戦争開戦の代替案を提示せよ。希望的観測に基づくな。空論の空論を作り上げるな。

 

●YK
+DT太平洋戦争直前には戦争を避ける代案はなかった。しかし、満州事変の戦後処理を適切に行えば避けられただろう、ということですね。こうなるとまた前の質問に戻るわけですが、私は前回の質問で、あなたのいう「満州事変における適切な戦後処理」なるものの内容について「希望的観測」以外いまだに明確な回答をいただいておりません。しかもその希望的観測についても私としては完全に論破したつもりでおりましたが、もしそうでないというのなら再度明確な反論をお願いします。

 

●SA
+DT(世界有数の軍事大国であった大日本帝国とアジア、アフリカの欧米に蹂躙された国々を同等に捉えることは自虐的ではありませんか?)
なんか自慢したいのですか? 其れは良しとして、欧米が日本を手ごわい相手で怒らせたらやばいと思っていたとあなたは見ているわけですね。 まず其れを確認した上で、つまり日本は列島の中だけに留まっていたら、欧米、ロシア、ソ連は何も手出しはしなかった筈だと? 其れでよろしいですか?

 

●DT
+YK​​​​
「最初から明確な代替案などない」と言い続けてる私の「希望的観測」を「論破したつもり」になっても無意味です。
また、それが無ければ、政府の批判もしてはいけないなど、お上に迎合した態度だと思います。

そもそもの日本史上最大の蹉跌であるあの敗戦を招いた政府と軍を批判するのは当然であると言う私の主張に対して「唯一の選択を非難するのは理にかなわない」というお答えをいただいたので、日本民族を魂までの敗戦に導いた過去が「唯一の選択の結果ではなかった」と言いたかっただけの話です。

昭和天皇は満州事変の後に「張学良 を復位させるのが適当と思う」などと発言されていたし、孔子の子孫を総統に据える話もあった。
少なくとも、関東軍が推し進めた溥儀を御輿に担ぐ路線は時代を逆行させ、全中国と敵対することになると多くの支那通日本人が批判していたので、「唯一の選択肢」などとんでもありません。

ということで、希望的観測以外の代替案など出せるわけないという、常識を理解していただいた上で、あなたに聞きたいのは、明らかな軍法違反であった林銑十郎を処罰することなく、ましてや後に総理大臣にまで昇進してしまったなった日本軍、政府の体質に批判すべきところはありませんか?

 

●YK
+DT>最初から明確な代替案などない」と言い続けてる
代替案がなければ、非難することができないという「常識(もしくは真理)」がまだ理解できませんか? あなたはインディアンやアボリジニ、あるいは南米やシベリアの少数民族がどのような運命を辿ったかご存知ないのですか? 敗戦の「悲惨さ」に比べたらそっちの方が幸福だったというのでしょうか?

>日本民族を魂までの敗戦に導いた過去が「唯一の選択の結果ではなかった」と言いたかっただけの話です。
つまり「唯一の選択肢ではなかった(他にも選択肢があった)」と主張されているんですね。だから私たちは、その「他の選択肢」を聞かせてくれと再三言っているだけです。

>昭和天皇は満州事変の後に「張学良 を復位させるのが適当と思う」などと発言されていたし、孔子の子孫を総統に据える話もあった。
これは以前の質問と同じですが、仮にそのようになったとして、満州に対するソ連の赤化政策を防ぐことができたと思いますか? またアメリカが満州を分捕ることを回避することができますか? 張作霖・張学良父子がアメリカの援助を受けて、満鉄併行線を建設したことはご存知ですよね?

>関東軍が推し進めた溥儀を御輿に担ぐ路線は時代を逆行させ、全中国と敵対することになると多くの支那通日本人が批判していた
たしかに「生半可」な支那通日本人は「共和制」という目新しい言葉に幻惑されてそう考えていたようですが、本物の支那通は「民度の低い中国に共和制など身の丈に合わない服を着せるようなものであり、かえって混乱の元」であるとして孫文ら革命派ではなく、康有為や梁啓超ら改革派や清朝遺臣ら宗社党の方を支援していましたよ。

 

●DT
+YK
>満州に対するソ連の赤化政策を防ぐことができたと思いますか? またアメリカが満州を分捕ることを回避することができますか?>
真実は一つ。日本が満洲をぶん取ったことで大陸全土が赤化した。
日米はまだ共同歩調を取れる可能性はあったと思います。
少なくとも日露戦争では日米は共闘したのですから、共産主義に共同で対抗した可能性は現実よりは高いでしょう。

繰り返しますが、私は単に日本が「唯一の選択」の結果、滅亡したというのは大きな間違いだし、多くの政治的・軍事的判断ミスが日本を滅亡に導いたという単なる常識を述べているにすぎません。
それがいつの間にか、「完璧な代案を出せ!」というなぞの命題にすり替えられただけですw

 

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コメント

  1. 匿名 より:

    日本の不況は克服できなかったんだろうな…
    結局は軍部が金食い虫という批判を受けて、大衆を納得させられない状況になるのは既定路線か。
    軍が手に入れた満州権益をアメリカに譲り渡すなんて、売国奴そのものに見えるだろうし。
    でも、軍政担当者は、防衛ラインが政治的に下がるのを勝利だと思わなくちゃイカンのよ。
    経済新興国は、そこで得た利益を国家のために蓄えなくちゃ。その結果の米国債だよね。中進国の罠を超える債権を持つまで臥薪嘗胆。
    今も、先進国から超大国になるまで、革命的技術や理念による統治を磨いていくしかないんだよ。

  2. 匿名 より:

    感情的になり、机上の空論の更なる空論を延々続けるのは、愚の骨頂にしか見えない。
    戦争を回避しなければならないと思っていたのは、当の国であり軍部であった。というのは、今日の研究で明らかになっていることで、そこに焦点を当てずに議論することは、まさに立て板に水・暖簾に腕押し・無意味だ。

    戦争回避するための違う道があるとすれば、再鎖国だな。

    でもそうすると、近隣諸国が植民地化され、蹂躙されるのを傍観し、飽和状態になったところを北の大国の赤い風に吹き飛ばされ、慌てた少数の先進国と自称する国々と赤の大軍+死にたがり総統によるww2が結局勃発し、鎖国してる場合ちゃう!となり、戦争に巻き込まれる・・・。

    どう考えてもBADENDしか見えないな、こりゃ。

  3. 匿名 より:

    これは判断の問題。と言うことはより当時の状況を詳細に知っていないと、当時の判断の正否を問えないのではいか?例えば我々日本人は日本人の発想に依拠し判断を下そうとするが、必ず相手がいる訳だ。日本がこうすると相手はこうくると言う読みがその当時どこまで正確に出来たであろうか?そこが問われてくるだろう。
    また、今でこそ中国に引きずり込まれた戦争だと理解できるが、ならばどうして当時、国連に中国のひどい状況を伝えていかなかったのか?そこに日本特有の諦めはなかったか?どうせ理解してもらえない。どうせ日本が悪者にされる、と。
    もし、日支事変当時、どこかの列強のうち1カ国でも調停役を引き受けてくれれば泥沼にならずに済んだはず。ここにも孤立主義の危険を認識すべきで、失敗を糧とすることはこう言うことだと理解すべきだろう。

  4. 匿名 より:

    リンク先読んだけど DT まるで駄目やん。
    大陸進出、日米開戦するのでなければどうすればよかったのかという質問に答えずはぐらかしてるのが延々と続く。そして言ってることが矛盾しまくっている。
    リベラル風味に日本を非難して気持ちよくなってるだけで、建設的な議論が出来ないタイプや。

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