満洲国建国は間違いだった←じゃあ他にどんな選択肢があったの? 満州事変をめぐる日本人同士の論争

大東亜戦争

満洲国関連動画上で興味深い議論(原文日本語)が交わされていましたのでご紹介します。

なおご紹介した議論は、著作憲法第40条一項「政治上の演説等の利用」に基づき転載させていただきました。

(Aさん)
満州国は評価の難しい国ですよね
中国東北地域単体で見れば経済が発展し、それが日本、戦後の中国の役に立った面があります
しかし、満州事変という侵略的な手法が、中国と欧米諸国の警戒を招き、後の戦争と亡国の一歩目になったこともまた事実です

(Bさん)
「満州事変という侵略的な手法が・・・」というのは少しちがうような。

(Aさん)
国際法上は中国の主権下にあった満州に軍事力を行使して独立政権を建ててしまった以上、侵略的という非難は免れ得ないと思います

(Cさん)
1929年の中東路紛争におけるソ連の行為は不戦条約違反じゃないの?
低強度紛争なる勝手な理屈を持ち出し中東に武力行使を行った戦後米国の行為は?
オランダの主権下にあったインドネシアの独立を日本が支援したことも日本の侵略?
日本が漢民族テロリストを排除して満州人に独立のきっかけを作ってやったのが日本の侵略? 張学良(漢民族テロリスト)の排日運動は低強度紛争じゃないの?

(Cさん)
そもそも当時の中国は本当に主権国家だったのですか? 事実上の崩壊国家だったわけで、主権などなかったから混乱していたのではないですか?
御用学者は、そのあたりをごまかすためか、北伐完了とかいって1928年の時点で国家統一が完了したとか言ってますが、実際には相変わらず内戦状態が続いていたわけですし‥。1937年の衝突を「日中戦争」ではなく「支那事変」と称したのも当時の日本が中国は主権国家じゃないという認識でいたからでしょ? 戦争というのは、主権国家同士の武力衝突に対する呼び名ですから。

(Aさん)
1929年の中ソ紛争は不戦条約違反ですね
中東に武力行使を行った戦後米国の行為とはどの行為を指すのでしょうか
イラク戦争ですか?
インドネシアの独立は戦後のことですよね
独立戦争に関わった旧日本軍人は国家、又は軍の命令で動いたのではなく個人の資格で戦争に加わったので、日本の侵略とはみなせません
当時の張学良は国民政府内に地位を持つ将軍であり、テロリストとは言えないでしょう

(Aさん)
当時の中国には未だ軍閥が残存していましたが、少なくとも国際的には国民政府を代表とする主権国家として認識されていました
1937年の衝突が支那事変と称されたのは、互いに宣戦を布告しなかったからであって、日本が中国を主権国家とみなしていなかったからではありません

(Cさん)
このあたりは解釈の問題になるので面倒くさいからやめましょう。解釈は人それぞれだし、そもそも解釈が違うから戦争が起こるわけですから。

もっと実際的な議論をしましょう。そもそも満州事変が間違いだったとして、では日本はその当時、どうすればよかったのでしょうか?

中ソ紛争で満州をソ連に取られそうになったわけですが、そのまま指をくわえてみていろということですか?

(Aさん)
中ソ紛争は、あくまで中東鉄路をめぐるものであって、ソ連による満州の制圧ではなかったことに注意が必要です
その上で、日本としてはその紛争をソ連による対中侵略の前触れであると喧伝し、中国側の立場に立ってソ連に対抗すべきでした
また、ソ連の南下によって中国の権益が脅かされるという点では、米英とも利害が一致する関係にあったわけで、これをテコに20年代に足並みが乱れ始めたワシントン体制の再構築に動くべきだったと考えます

(Cさん)
>米英とも利害が一致する関係にあったわけで、これをテコに20年代に足並みが乱れ始めたワシントン体制の再構築に動くべきだった

なるほど。それもあり、かもしれませんね。しかし「これをテコに」ワシントン体制を再構築するなどという巧みな外交がはたして当時の日本にできたのでしょうか?

今の日本の政治のていたらくからすれば、当時の人にだけそのような超人的な能力を求めるのはちょっと酷なような気もしますが‥。

そもそもワシントン体制の足並みを乱したのは中国とつるんだアメリカだったわけですし‥。

むしろ下手したらアメリカにまるめこまれ、満州を奪われてしまうのが関の山だったのでは? そしてもしそうなったら、ハワイ、フィリピン、満州と日本の周囲はみなアメリカに押さえられてしまうわけですが、それは問題ないのでしょうか?

さらにその後の世界大恐慌でブロック経済化が進んだ際、日本はどう振る舞えばよかったのでしょうか?

あと中ソ紛争の際、それに呼応して中国共産党が中国南部で暴動を起こしてますよね。またその際、スターリンは北満州を制圧しようと考えていたともいわれています(これはたしかな根拠があるものではないですが)。しかし歴史をみれば、ソ連が(ロシア時代もふくめ)満州どころか中国、さらに日本を含むアジア全域を赤化しようと常に刃を磨いていたことに異論はありませんよね?

それに直接対峙する張学良政権も蒋介石政権も盤石なものではありませんでした。中ソ紛争時にかぎらず、いつソ連が満州に入り込み、そこを赤化してしまうか分からないという状況は押さえておくべきでしょう。つまり当時、日本の安全保障は張学良および蒋介石政権の双肩にかかっていたということです。そんな状況が日本にとって好ましいものでなかったのは理解できますよね?

(Dさん)
(Aさんへ)
あの当時やった事を侵略か否か問うても無意味でしょ。
日露戦争に勝った日本が朝鮮から撤退する訳は無かったし、満州に傀儡の緩衝地帯を設けた事も、純戦略的には正しい選択肢。そうじゃなきゃ、ロシアが押し戻して来て、朝鮮で対峙する事になった。

朝鮮にせよ満州にせよ、撤退を決めた政治家は詰め腹を切らされただろうな。
そして多大な犠牲を払う戦いをもう一度強いられた。
あの当時の日本は、どうせ戦いを避けられないなら先制攻撃だったしな。
そして、後のルーズベルトの日本への干渉など、予想できる訳も無かった。

スターリンはソ連人を四千万人殺したと言われるからね。
絶滅戦争を宣言していたヒトラーの侵攻の犠牲者の二倍だった。
スターリンの圧政を嫌っていたウクライナ人はドイツ軍を解法軍と捉えた。

スターリンは民族ごと居住地から移動させ民族の抹殺を謀った。
後のソ連で起こった惨事を考えれば、日本人を朝鮮に追いやり、日本列島にはロシア人が入植するなんていう悪夢も有り得た。ソ連(ロシア)の脅威を放置したらね。
だから、朝鮮統治(併合)から満州事変の流れは、国家の舵を切る立場としては、必然的な選択肢だった。

(Aさん)
(Cさんへ)
ワシントン体制の足並みを最初に乱したのはアメリカ、というのは事実に相違するのではないでしょうか
日本、イギリス、アメリカがそれぞれに足並みを乱す行為を行いましたし、最初に乱したのは1925年対中関税会議の日本の行動だと言えます

アメリカに丸め込まれ、満州の権益を奪われるというのは論理の飛躍が過ぎるのではないかと
具体的な説明を願いたいです

ブロック経済については、中国側についてソ連に対抗する以上、同じ「持たざる国」である中国との経済提携を模索できるのではないでしょうか

ソ連が最終的に世界の赤化を狙っていたことは同意します
しかし、ソ連が満州に侵攻した際、その対処に当たるのが蒋介石と張学良政権のみで、日本がその敗退をただ坐して見守るかのような言い方には同意できません
南満州の権益を侵すことは当然日本の参戦事由になり、また満州に関心を持つアメリカの介入の可能性がある事を考慮する必要があります

(Aさん)
(Dさんへ)
まとめると、

1905年に日露戦争で勝利した時点で、1931年の満州事変は避けられなかった
満州事変は当時の日本のメンタルでは必然的に導き出される選択肢であり、日本はそれを行うしかなかったのだから、その行為について侵略か否か論ずるのは無意味

とおっしゃっているのですよね

私の意見を言う前に確認したいのですが、では、日本が敗戦を避け得る分岐点は、その後の選択肢にあったというお考えでしょうか
それとも、1905年の日露戦勝の時点で、1945年の敗戦は避け得ないというお立場ですか

(Dさん)
(Aさんへ)
言ったでしょ。
ルーズベルトの干渉など誰にも予想できる訳は無かったて。
ハワイ、フィリピンを攻め取ったアメリカが、なぜ日本の軍事行動に干渉するのか?
なぜ石油の御得意さんである日本を締め上げなければならないのか? 日本としては寝耳に水ってやつですよ。アメリカと開戦? なんだそりゃ? って。ロシアとの講和の仲介をしたのもアメリカだし。
日露戦争では日本を支援した英国との同盟も破綻。一体どうなっているんだ? だね。

ルーズベルトは戦争をやりたがったのだが、直前でも和平で纏まりかけていたから。アメリカの政治家も、大半は、日本軍の奇襲攻撃以前なら、日本と開戦? 何の為に? だったと思いますね。

(Cさん)
ここにあるのはアメリカに対する認識の違いのようですね。当時のアメリカは今の同盟国アメリカとはまったく別物と考えるべきです。

日露戦争の際、誰が仲裁者となったのか、お忘れですか? 日露講和条約が結ばれたポーツマスはアメリカの都市です。

その後、南満州鉄道の共同経営を持ちかけて来たのもアメリカ(鉄道王ハリマン)です。

アメリカが1900年に門戸開放宣言によって中国市場(とくに手薄だった満州)に入り込もうとしていたことをまず押さえください。

石井ランシング協定からワシントン会議への流れの裏には、満州を日本から奪おうとするアメリカの意図が見え隠れしています。

要するにその後の流れは満州をめぐる日米の角逐でもあったのです。

そうした流れを理解すれば、「アメリカに丸め込まれる」ことが論理の飛躍でないことがわかるはずです。仮に論理の飛躍であっても万が一の可能性を想定して行動するのは国家として当然のことです。

>「持たざる国」である中国との経済提携

資源も人口もある中国が持たざる国ですか?

また中国と提携しようとして何度も挫折したのはご存知ありませんか? たかだかと理想を掲げたアジア主義が中国の裏切りによって挫折した歴史はご存知ありませんか?

ここでもそうですが、「できるのではないでしょうか?」などという「自分にとって都合の良い可能性」をもとに政策を決定することは許されません。逆に、上で触れたように「万一の悪い可能性」は常に想定しておく必要があります。

>しかし、ソ連が満州に侵攻した際、その対処に当たるのが蒋介石と張学良政権のみで、日本がその敗退をただ坐して見守るかのような言い方には同意できません。南満州の権益を侵すことは当然日本の参戦事由になり、また満州に関心を持つアメリカの介入の可能性がある事を考慮する必要があります

これについても同じです。アメリカは今も昔も公平を尊ぶ正義の味方などではありません。まあ尊ぶふりをするだけ他の国よりはましですが‥。

(Cさん)
(AさんおよびDさんへ)
横から失礼します。

私は日露戦争の時点で、というかその前から日本の戦争は避けられなかったと考えています。

ちなみに敗戦を避ける、というのはどういう意味なのでしょうか?

それは戦争そのものを避ける、とは違うのですよね? 私は敗戦を避ける、つまり勝つ道はあったと思いますが、本筋からはなれてしまうのでふれません。

ここでは戦争を避けるという前提で話を進めます。

戦争を避ける道筋のひとつとして、前回あなたはワシントン会議の再構築という案を出しましたよね。ということはワシントン会議でうまくふるまい、それによって満州事変も支那事変も、そして大平洋戦争も防ぐことができたなら、この問題はそれで一件落着、万事オーケーということなのでしょうか?

しかしこれは、当時の西洋列強による植民地体制を是認することが前提になりますよね?

つまり、この場合、日本が戦争の道へ進まないということは、当時の植民地体制の中で、日本が列強と仲良く席を並べて植民地大国としての道を歩むということになりはしませんか?

しかし、じゃあそれではと、日本も植民地を持とうとした場合、英米など他の植民地大国はそれを歓迎してくれるのでしょうか? くれたのでしょうか?

あるいは植民地体制を是認せず、それを非難し、それに対抗して別の世界体制の構築をめざす、ということでしょうか?

こうして整理してみると、どちらもその後、日本が実際にたどり、そして失敗した道であるような気がするのですが‥。

つまり、繰り返しになりますが、ここで重要なのは、日本が植民地を持たず、なおかつ戦争をしないですむ道が果たしてあったのかどうか、ということです。

ということでもう一度お尋ねします。

満州事変が間違っていたというのであれば、それに代わる、そして上記を満たすような道筋を教えてください。それも「かもしれない」とかいう憶測レベルの話ではなく、現実的な国の政策として通用する具体的なレベルのものをお願いします。

(Aさん)
(Dさんへ)
つまり、誰にも読めないルーズベルトの干渉があったから、日本が対米戦に巻き込まれ、敗戦したのは必然だったと言うご主張なのですね
しかし、本当にアメリカの干渉は読めないものだったでしょうか

Cさんとの会話にも一部登場していますが、日露戦争の講和をアメリカが主導したのは、親切心ではなくアメリカの介入する余地のある満州利権が日本に独占される事を阻止するためだったことはご存知ですよね
遅れて中国の権益闘争に関わったアメリカは、特に満州の権益をを欲しており、満州近辺で紛争が起こる際は、非常にナイーブな反応を示していました
これは日本だけが対象というわけではなく、1929年の中ソ紛争の際も、アメリカは最終的には行わなかったものの、介入に積極的な姿勢を示していました

という点を考えると、満州事変を起こし、日中戦争を拡大した日本にアメリカが干渉したことは、予測不能だったとは言えないのではないでしょうか

(Aさん)
言葉が足りず、質問がうまく伝わらなかったようで、申し訳ありません
ええ、日露戦争後から、第一次世界大戦まで、満州権益へのアメリカの介入があったことはよく存じております
私がお聞きしたかったのは、すでに日本単独所有が決定し、1915年の対華21カ条要求で99カ年の日本への租借が決まった満州権益を、30年代のアメリカがどのように日本を丸め込んで奪いとるのかということです
アメリカ側に具体的な権益奪取計画があったのでしょうか

対中経済提携に関してですが、これまでに中国側と同じ立場に立って赤化侵略と戦い、それでいて失敗した大アジア主義運動はなかったのではありませんか
満州を守るという点で日中の利害は一致し、これはほぼ同盟に近い立場になるわけですから、少なくともこれまでの大アジア主義運動の失敗によって対中経済提携成否を語ることはできないでしょう

アメリカの満州防衛戦介入は、希望的観測のみに基づいた話ではありません
1929年の中ソ紛争の際、アメリカは介入に積極的であったのは史実です
当時の幣原外相はそれに同調せず、アメリカの介入は結局実行には至りませんでしたが、ソ連が中東鉄路のみではなく満州全域への侵攻を図り、アメリカを押しとどめた幣原外相がいなければ、アメリカは高い確率で介入を行うでしょう

(Aさん)
ですから、今、満州事変を起こさなかった場合について、コメントの返信を繰り返しながら議論していますよね

議論の内容としては大体
①満州権益の保護
②国際経済
③対ソ安全保障
の3つに絞れてきているように見えます

その議論がまだ終了していないのに、あたかもすでに完了し、1つとしてお話にならなかったかのような態度を取られるのは非常に不愉快です

(Cさん)
>私がお聞きしたかったのは、すでに日本単独所有が決定し、1915年の対華21カ条要求で99カ年の日本への租借が決まった満州権益を、30年代のアメリカがどのように日本を丸め込んで奪いとるのかということです

私はこう言っただけです。
>むしろ下手したらアメリカにまるめこまれ、満州を奪われてしまうのが関の山だったのでは?

アメリカが実際そうしようとしていたと言ったわけではありません。ハリマンの南満州鉄道共有化案やリットンの提案などから、アメリカならそうしかねないと言っただけです。

対中経済提携とアジア主義に関する部分ですが、私の理解力が足りないのか、何をおっしゃっているのかよくわかりません。できれば再度ご説明ください。

>その議論がまだ終了していないのに、あたかもすでに完了し、1つとしてお話にならなかったかのような態度を取られるのは非常に不愉快です

>議論の内容としては大体
①満州権益の保護
②国際経済
③対ソ安全保障
の3つに絞れてきているように見えます

絞るも何も‥

>そもそも満州事変が間違いだったとして、では日本はその当時、どうすればよかったのでしょうか?

端的にこれにお答えしていただければそれで議論は終了するのですが‥。

あなたはワシントン体制の再構築がその代案だとおっしゃいましたよね。

私は、仮にそれが成功したとしても、それは一時的な弥縫策にしかならないのではないか、とあらかじめ釘をさしたつもりです。

もしそうでない、一時的ではなく長期にわたって日本の安全保障が担保できる妙案があるのだ、というのであれば、ぜひ教えてください!

それがもし納得の行く答えでしたら、私も潔く負けを認めましょう。

それこそ私が長い間知りたかったことですし、戦後の日本人が知るべき重要な答えのはずですから。

(Aさん)
対華21カ条要求で日本の満州権益はすでに固まっていました
その上、30年代アメリカがその権益を奪取する具体案もないのであれば、日本が史実通りの権益保守政策をとっていればアメリカに満州の権益を奪われる蓋然性は低いと言えますよね

日中経済提携についてです
近代において中国から見た日本は、常に中国での権益拡張を図ってきた帝国主義国でした
そのような中で日中提携が大アジア主義運動等によって模索され、失敗してきたことには同意します
ですが、今私が主張している対ソ安全保障論の中では、日中関係は権益を巡って対立する関係ではなく、協力してソ連の侵略に抗する関係となるわけです
ですので、権益拡張時代の日中提携の失敗をもって、この日中経済提携失敗を語るのは不適切である、ということが言いたいわけです

③の対ソ安全保障に関する質問はもうないでしょうか?

ワシントン体制の再構築として日本が行う安全保障政策は、
⑴第一次世界大戦終了時の英・米・日・その他帝国主義諸国の権益、植民地を尊重すること
⑵中国に関しては英・米・日で一致した立場をとり、妥協できる点は妥協して、中ソの接近、中国の赤化を防ぐこと
⑶ソ連が実力で中国もしくは満州の赤化に乗り出した際には、日本も軍事力で対抗すること

ということになります

⑴によって、日本が他列強の植民地に進出したことで起こった太平洋戦争を抑止し、
⑵によって、満州事変とその結果勃発した日中戦争を抑止します
これによって、日本が戦う可能性のある戦争は対ソ自衛戦争のみとなります

これが私の構想する満州事変を起こさなかった際の日本の安全保障案であり、それに対して一時的な弥縫策にすぎないかどうか確かめるために貴方から提出された論点が

①それで日本の満州権益は守られるのか?
②それでブロック経済に対応できるのか?
③それでソ連の満州侵略に対応できるのか?

の3点で、これについて今まで議論してきたわけです

納得のいく答えであれば、とありますが、ifの歴史戦略を構想する際には、実際に歴史を走らせて試してみることが不可能である以上、100パーセント正しいと断言出来て全ての人の同意が得られるような構想を一度で打ち出すのは困難です

ただ、その構想で個別具体的な問題や事案を論ずることによって、その構想がどの程度正しいか推し量っていくことはできます

よって、この時点で貴方が納得できないのであれば、もっと個別具体的な事象に対する議論を積み重ねていく必要があるわけです

上にあげた3点の論点の他に、まだ議論すべき論点や質問がありましたら、ぜひご提示をお願いします

(Cさん)
日中経済提携における「ソ連の侵略に抗する関係」というのは、具体的に中国側のどの勢力との関係なのでしょうか? 当然、共産党ではないでしょうし‥。国民党もすでに第一次国共合作の際、かなりの部分、赤化されていましたから、少なくとも日本にとっては「怪しい奴ら」という印象がぬぐいきれなかったはずです。それとも北洋軍閥との関係を強化し、提携を図る、ということでしょうか? 実際日本は当初、北洋軍閥系を支援していたわけですが‥。

しかし共産党はソ連が、国民党は英米が、それぞれ支援するという形で、当時の構図自体、大国同士の代理戦争状態だったわけで、北伐の成功はその時点で、英米勝利、日本敗退ということを意味していたはずです。

以上を前提としてみるとあなたのいう「ソ連の侵略に抗する関係」というのはおそらく国民党との提携関係ということかと思います。もしそうであれば、あの時点で満州事変という強引な政策を採らず、国民党と協力していくというのはたしかにひとつの道としてはあり、だとは思います(私はその道には賛成しませんが)。実際、当時、国民党と日本との関係は、アジア主義という視点からみてもそう悪くなかったわけですから。

ですので、あの時点で満州事変は起こさない、もしソ連が南下してきたら、英米と協力して対抗するという案はありだと思います。

ただその上でなお疑問はいくつも残ります。ひとつには、アメリカが素直に満州から手を引き、日本の満州権益を尊重してくれたのか、ということです(満鉄並行線問題などもありますね)。

前にも触れましたが、門戸開放宣言、ハリマン提案、石井ランシング協定、ワシントン会議(これに満鉄並行線を加えてもいいかもしれません)という一連の流れからは、アメリカが日本を中国市場を開拓する上での邪魔者とみていた節が透けてみえます。さらにその後の実際の流れを見ても中国に対するアメリカの思い入れが並々ならぬものであったことがうかがえます

そう考えると、アメリカにはもともと中国から日本の勢力を駆逐しようという野心があり、そのためにワシントン会議なるものを設定したとみることもできるはずです。

もしそうであれば、ワシントン体制の再構築などどだい無理な話というべきではないのでしょうか。それは終戦時にソ連に和平斡旋を依頼したような、もともと悪意ある相手に期待をかけるようなお花畑すぎる夢想でしかないようにみえます。

もしそうでない、アメリカには日本を邪魔者にする意図はなかったと主張されるのであれば、そういえる根拠をもう少し具体的にお示しください。

またブロック経済への対応についてはどうなのでしょうか? こちらはまだ具体的な代案はいただいてないように思います。

国民党と経済協力する? 当時の国民党はアメリカとべったりだったわけで、ここでもアメリカと利害が衝突してしまうのではないでしょうか?

(Aさん)
私が提携する相手として考えているのは、おっしゃる通り国民党政府です
加えて、すでに国民政府の一部となり、ソ連による侵略の際には第一に矢面に立つ張学良政権とも提携を進める構想です

次に、ワシントン体制下のアメリカがどの程度満州権益を欲していたのか、日本の権益排除も視野に入れて考えていたのか否かについてです

まず1899年・1900年の門戸解放宣言は、ワシントン体制下のアメリカも踏襲していた外交政策ですが、これはあくまでアメリカの原則的な立場を示すものであり、実際のアメリカ満州政策を知るためには日本との個別的な外交交渉を見る必要があります

1905年のハリマン提案は、確かに日本による満州権益独占を防ぐためにアメリカが講じた措置と言えます
しかしこの提案は日本による拒否という形で終了しており、以後触れられてない以上、これによってワシントン体制下のアメリカ満州政策を推し量ることはできません

1917年に締結された石井・ランシング協定は、アメリカが日本の満州権益を認める代わりに、日本はそれ以外の中国全土における門戸開放原則を認めるものでした
これによって、アメリカはとりあえずは日本の満州権益を承認する方向にシフトしたということができます

この石井・ランシング協定は1922年、ワシントン会議で結ばれた九カ国条約によって廃棄されました
この一事のみを見れば、アメリカは再び日本の満州権益を認めず、日本を排除する方向にシフトしたように取ることもできます
しかし、同時期のアメリカ外交政策を見れば、必ずしもそうとは言い切れません

九カ国条約発効の2年前、1920年に、ワシントン体制を経済面から支える枠組みである新四国借款団が結成されています
この機関はアメリカの呼びかけによって結成されたもので、中国に対する借款を統一し、中国の門戸開放を経済的に推し進める役割を担うものでした
しかし、結成前の交渉の過程において、すでに「具体的な進捗」が見られる借款計画についてはその優先権を借款団に提供する必要はないと決定され、日本の満州鉄道借款の大部分は提供されませんでした
この出来事は、ワシントン体制下において日本の満州権益が消極的に承認されたことを示しています

以後日本の満州事変が起こるまで、アメリカは積極的に日本の満州権益を侵害する行動はとっていません

このように日米の満州に関する外交交渉を振り返ってみると、日本が満州権益を手に入れた初期の頃はともかく、第一次大戦後に関しては、アメリカは日本が権益を拡張することには強い警戒を払いつつも、日本がすでに手にしていた満州権益については消極的な承認を与えていたとみるのが妥当です

よって、ワシントン体制は日本の権益排除を目的とした体制であった、と言うことはできません

満鉄並行線問題については、日米関係の問題ではなく日本と奉天軍閥間の問題と言えるでしょう
路線建設にアメリカ資本が入っていたことを考慮に入れても、それは駐兵権などを伴う日本の満州権益に比べてずっと小さな権益ですし、これをもって日本の満州権益を排除するための策略であるとすることは不可能でしょう

ブロック経済の具体的代案としては、国民党との経済提携、特に満州に重点を置いた提携を構想しています
日本は1915年の対華21カ条要求において、法律上南満州での商租権を入手していました
史実においては張学良との交渉がはかどらず、実現されることはありませんでしたが、例えば田中義一政権はこの実現と治外法権撤廃のバーターを狙って積極的な交渉を行っていました
対ソ防衛同盟の見返りとしてこの商租権を実現することにより、満州での経済取引を活発化させる、というのが史実の日満ブロック経済に対する代案になります

(Cさん)
どうも一連の事象の一部だけを都合良く切り取って、それをさらに自分に都合の良いようにつないでいるようにしかみえませんね。つまりせいぜい「そう解釈することもできる」というものを恣意的につないでいるだけだということです。それでは憶測に基づくただの希望的観測にすぎないといわれても仕方がないと思いますよ。

あなたは次のように論点をまとめられました。

①それで日本の満州権益は守られるのか?
②それでブロック経済に対応できるのか?
③それでソ連の満州侵略に対応できるのか?

これに沿って反論します。あなたの代案は①の満州権益を守り、③のソ連の満州侵略に対抗するため英米と協調し、ワシントン体制の再構築を図るということですよね?

私は米国に満州への野心がある以上、そううまく行かないのでは、と反論しました。

それに対してあなたは、米国は満州への野心は捨てた、とおっしゃいました。いやそう「解釈」できるとおっしゃいました。

しかし北伐を成功させた国民党の裏に英米がいたとするなら、そして張学良に易旗革命を促したとみるなら、米国は国民党を通して満州権益を自分の方に引き寄せようとしていたとも「解釈」できます。裏付けもあります。満鉄並行線への出資です。

以前、ワシントン体制の足並みがどうのとおっしゃっていましたが、20年代は国共合作、北伐、易旗革命と激動が続いていた時代です。北伐を支援し、国家主権を北洋軍閥から奪おうとした国民党を支援することはワシントン体制の足並みを乱すことにはならないのでしょうか?

とまあ、いちおう反論しておきましたが、まあいいでしょう。ここは百歩譲ってあなたの主張が正しいということにしておきましょう。

しかしここまでのあなたの議論をまとめると、要するに英米との協調を重視した幣原外交路線をそのまま踏襲すればよかったということですよね?

しかし幣原外交が前提としたのは自由貿易です。ここにあったのは世界の自由貿易が担保できているという条件のもとでなら「持たざる国」である日本であっても「持てる国」と対等な外交が展開できるという考え方だったはずです。

しかし幣原外交は世界のブロック経済化という厳しい現実を前に破綻したのが史実です。

そりゃそうですよね。資源を持たない日本が米国や中国に「どうかあなたの資源と市場を分けてください。そうしないとわれわれは飢え死にしてしまいます」なんて頼んだら足下を見られないわけがないのですから。

そこで自前の経済圏を構築しようとして満州事変が起こされた、というのが史実なわけです。

もしそうしないで、あくまでも幣原外交路線を貫いたらどうなっていたでしょうか?

今みたように足音を見られ、どんどん政治力を失ってしまうのではないですか?

そうなれば、下手すれば、というよりまず確実に米国の植民地になっていたはずです。

そうならずともアルゼンチンのような転落の道をたどらざるをえなかったのではないでしょうか?

ブロック経済化への対策として張学良政権との経済提携をおっしゃいましたが、日本を敵視する張学良政権とのそれがすんなり行くとは思えません。たとえうまく行ったとして、上記のような「どうかあなたの資源と市場を分けてください。そうしないとわれわれは飢え死にしてしまいます」という状況の日本が、中国側から足下を見られないという保証はあるのでしょうか?

また北伐から易旗革命の流れを見れば、張学良の裏には国民党が、国民党の裏には米国がいたことは容易に推測できます。まあここではそう「解釈」できると言っておきましょうか‥。

ちなみに蒋介石も張学良もキリスト教徒ですからね。宋美齢や宋一族と米国との関係などはもうご存知ですよね?

それほど当時の国民党の上層部は米国に取り込まれていたのですよ。なのに米国は無害だ、中国も話せば分かるとお花畑な主張をしたのが幣原外相らでした。そしてその路線は、あまりにお花畑すぎるとして結局却下されました。

それなのにあなたが今また同じ路線を主張するというのはどういうことなのでしょうか?

しかもその路線がうまく行くかどうかは、「歴史のifだから走らせてみないとわからない」とおっしゃいましたよね。

神の視点から分析できる後世のわれわれでさえどうなるか予測がつかないことを、一寸先も見えない当時の人に正しく予測しろ、正しく予測して判断しろというのは少々酷なのではありませんか?

当時の人が限定された認識能力の範囲内でよかれと思って判断したことが仮に結果的に間違っていたとしても、それに代わるべきたしかな代案が後世からみても特定できないのであれば、それは不測の事態というべきです。

不測の事態だったにもかかわらず、それを事前に予測して正しく行動しなかったお前が悪いといって非難するのは論理的に矛盾しているのではないでしょうか? というより無責任かつ不遜だとは思いませんか?

少なくとも二つの解釈が対立する場合、危機管理としては悪い方の解釈を元に対応するのが原則であり、その点からも当時の人の選択は、すくなくとも間違った選択だったとはいえないはずです。たしかにやむをえない苦渋の選択ではあったかもしれませんが、だからといってそれを非難する権利はわれわれにはないと思いますよ。

(Aさん)
百歩譲っていただけたのは幸甚の至りですが、一応反論をしておきたいと思います

つまり、アメリカが国民党を支援した狙いは国民党を通して日本の満州権益を奪取することにあったのであり、ワシントン体制下で日本の権益を守る意思などアメリカにはなかったのだ、というのが貴方の反論ですね

しかし、これも史実を見れば、そのような単純な見方はできないことが分かります
1926年に北伐が開始された当時、アメリカとイギリスは中国の勢力均衡を大きく揺るがす北伐に非常な警戒感を持っていました
そのことは、1926年、イギリスが国民党軍の迫る上海への共同出兵を日本に提案していること、また1927年、南京事件が起こった際にはアメリカとイギリスが三国共同で国民党への武力干渉を行おうと日本に提案していることから読み取ることができます

このアメリカの行動からは、ワシントン体制下で承認されている日本を含めた各国の権益を固守しようとする姿こそ見ることができますが、日本の権益を排除しようとする姿勢は見られません

しかし、当時の幣原外相がこの2つの共同出兵案を断ったために英米は北伐に効果的な対応を取ることができず、次善の策として国民党内の反共右派である蒋介石に依存するしかなかったという実態があります

蒋介石はこの英米からの要請に応え、27年に反共クーデターの実行、28年にソ連との断交を行いました

この史実から言えることは、

⒈アメリカの国民党支援は日本の権益奪取という計画の一環としてあったものではなく、日本との連携が取れない中で自国の権益を守ろうとした次善の策であったこと
⒉アメリカの国民党支援はワシントン体制の足並みを乱すものであったことは確かであるが、その前提としてまず対中連携拒否という日本によるワシントン体制を乱す行為があったこと

の2つです

また満鉄並行線の建設は、当時国民政府から独立し対抗していた張作霖時代に始まったものであり、国民党を通した満州権益奪取の証拠としては不十分ではないでしょうか

経済の話に移ります
はじめに、私は決して幣原外交全肯定の立場に立つものではないことはお断りしておきます
例えば上にあげた国民党との協調を優先し、英米の信頼を失った事例などは、日本の英米協調の可能性を大きく損なうものとなったと評価しています

その上で、経済的な面だけを見て考えた場合、確かに満州国建国は私の代案よりも日本にとって合理的な手段であることは認めます
満州を植民地的国家として囲い込むことは、ブロック経済化が進む当時の経済情勢に適した判断ではありました

しかし、経済的合理性を追求して満州国を建国した結果、日本は国際連盟から脱退して政治的に孤立し、日中戦争の勃発・拡大によってアメリカの干渉を招き、最終的に経済的に最も不合理である敗戦という事態に至りました

そこで、もう一度代案に戻って考えたいのですが、確かに国民党・張学良との経済交渉は、対ソ同盟関係にあるとは言っても満州国相手のようにはうまくは行かず、譲歩を迫られることもあるでしょう
しかし、その譲歩が一時的には日本の国力を低下させるものだとしても、それが敗戦による大陸領土・南洋諸島の失陥、国土の焦土化よりも重い国力の低下になるとは考えられません

もし仮に日本が植民地化されるとしたら、それは敗戦と同等の痛手である可能性もありますが、国連理事国の一国である日本が、どのような段階を経て植民地化されるのか私には考えつきません
アメリカが日本を植民地化する具体的な方法論がありましたら、お聞かせください

アルゼンチンのような転落ともおっしゃいましたが、そもそもがイギリスの投資によって経済的発展を遂げてきたアルゼンチンと、基本的に自国の資本によって発展してきた日本を単純比較しようとすることもおかしいのではないでしょうか
自由貿易に頼った日本がアルゼンチンのような転落を遂げるとおっしゃるのであれば、それについても具体的な証拠をいただきたいです

最後の部分に関しては認識の相違を感じます
私は満州事変は当時としては合理的な判断だったと考えていますし、当時の人々に敗戦まで読んだ上で行動しろなどと言うつもりもありません
私はただ、合理的な判断であった満州事変が敗戦という最大の不合理を産んだことから学び、最大の不合理を避けるためにはより小さな不合理を受け入れる必要もあると考えているだけです
何よりこういった論考は先人がそのような失敗を犯したからこそできることなので、非難などできるはずがありません

(Cさん)
解釈の部分はしょせん水掛け論になりますし、そういった細かい事象、ひとつひとつにわたって議論していったらいくら時間があっても足りません。最初に合意した通り、もっと大局的なところで議論しましょう。

つまり中国に対しては、幣原外交のような融和的姿勢ではなく、欧米同様、いやそれ以上に強圧的な態度を取るべきだったというわけですね。

すると、やはり以前の質問に戻ることになりますが、日本は植民地列強宗主国クラブの一員として進むべきだったという結論になりますよね?

しかしこれも前にも言った通り、クラブの一員として内外ともに認められるのであれば、当然、日本も植民地を持つべきですよね? だとしたら、どこを植民地にする計画なのですか? いつどのようにしてそこを植民地にするのですか? それは満州事変とは異なり、他の列強の反対を受けない妙案なわけですよね? それは法的にも「侵略的」でない「合法的」な植民地獲得手法になるわけですよね?

(Cさん)
追記です。
>アメリカが日本を植民地化する具体的な方法論がありましたら、お聞かせください

このあたりは今の食料安保論と似たようなもののはずです。資源もない、市場もない、もちろんお金もない国が未来永劫にわたって国力が弱まらないと思えることの方が逆に私には考えもつかないのですが‥。アルゼンチンの例はその特殊性にではなく、一度世界の大国としての地位を得たとしてもいつ転落するかわからないことの一例として出したまでのことです。なんなら大英帝国の落日を代わりに上げてもいいでしょう。諸行無常ということです。

(Aさん)
なぜ中国に強圧的な態度をとることが、さらに植民地を持つべきだったという結論につながるのか理解できません
私はワシントン体制護持のため、中国が武力で利権を回収しようとした1920年代に欧米と協調して抑圧的な政策を取るべきだったと言っているだけです
それはワシントン体制に反するさらなる植民地の獲得と結びつくものではありません

(Aさん)
私は自由貿易主義をとることによって国力が全く弱まらないなどと言った覚えはありません
その弱体化度合いがどのくらいで、それと敗戦を比べてどちらの方が良いかという話をしているのです
日本植民地化の話で食糧安保論を出してきたということは、現在の日本はアメリカによって植民地化されているという認識なのですか
冷静に考えて、それは植民地化と言えるのでしょうか
また、戦前日本の食料自給率自体は高かったことはご存知ですよね

次いでイギリスの例ですが、世界中の植民地を喪失したことによって没落したイギリスと、植民地を保ったまま自由貿易交渉において不利な立場に置かれただけの日本を単純比較するのも不可能です
ただ、もっと長期的なスパンで、ワシントン体制内にとどまって戦後を迎え、その後植民地の独立運動を抑えきれずに大陸領土を失った日本を考える際にはイギリスの事例は参考になります
しかしその場合においても、国連理事国という世界の指導的地位を維持したままの緩やかな没落は、敗戦よりも悪い結果であったと言えるでしょうか

(Cさん)
>なぜ中国に強圧的な態度をとることが、さらに植民地を持つべきだったという結論につながるのか理解できません

それは端的にあなたの理解力が足りないからです。

私は植民地宗主国クラブ(列強といってもよいです)の一員として振る舞うのであれば、その地位をどのようにして維持するつもりなのかとお尋ねしたのです。

それがもし植民地を持たずに可能なのであれば、具体的にどうするのか、手元のカードが少ないのが相手にも見え見えの状態で他の列強と互角の交渉が将来にわたって永続的に可能なのかとお尋ねしたのです。

あなたは英米と協調して、と幾度もおっしゃいましたが、言葉の上でそういうのは簡単です。しかしたとえ仲良しクラブであっても世の常として仲が悪くなることはよくあることです。そうなった場合、どうすればよいのかとお尋ねしているのです。

あなたはその点については、ああだこうだと末節部分の解釈論に逃げ込んだりして、詭弁でもってはぐらかしたまま一度も正面から答えていません。

しかし、面倒なのでこの件については、もうこのくらいで切り上げましょう。あとは第三者に判断してもらいましょう。ここまで議論を積み重ねて来て、どちらにより説得力があるかは、もはや誰の目にも明白だと思いますのでーー。

代わりにというわけでもありませんが‥。

なかなか学がおありのようですので後学のためにお聞きしたいのですが、インドネシアと満州との違いはどこにあるのでしょうか?

私の認識は、以下の通りです。

(インドネシア)
オランダの主権(これは怪しい)の下にあったインドネシアに日本が武力でもってオランダを追い出し、インドネシア人に独立を与えた(もちろん民度や戦時中であるといった問題などもありいきなり与えたわけではありませんが)。日本敗退後、オランダが戻ってきた。それに対してインドネシア人が武力で反抗した。そこに日本人(義勇軍)も協力した。結果、独立が認められた。

(満州)
中国の主権(これはかなり怪しい)の下にあった満州に日本が武力でもって中国人を追い出し、満州人に独立を与えた(もちろん民度の問題などもあり、実際には日本が統治をサポートしていた)。日本敗退後、中国(それも正統性をもつかもわからない過激なテロリストグループ)が(ソ連という外国軍の武力を後ろ盾に)戻ってきた。それに対して満州人は武力抵抗をあきらめた。結果、満州の独立は認められなかった。

こうしてみると、独立が認められるか認められないかの分水嶺となったのは、暴力の有無のようにも思われます。インドネシア人は暴力を使ったから独立を認められたし、満州人は使わなかったから認められなかったというようにもとらえられます。

しかしこれでは暴力が法律より上に位置するということになるのではないでしょうか? これは法の支配という原則に反するのではないでしょうか?

法律にはうといもので、このあたりぜひともご高説を賜りたく存じます。

(Aさん)
まず、列強クラブの地位を維持するためには絶えず植民地を獲得し続けなければならないと言うのが、すでに19世紀の時代遅れの考え方です
20世紀に入ってからは、イギリスの例を見ても、植民地から本国への富の流入より、本国から植民地への富の流出が大きくなり、財政を圧迫していたことは広く知られています
すでに多量の植民地を持っていることが列強の証拠、とは言えない時代となっていました

加えて言うなら、あなたは植民地を持たずして列強と互角の交渉が永続的に可能なのか、と問いましたが、その永続的にというのはどのくらいのスパンを考えているのですか
10年間のブロック経済体制の末に起こった第二次世界大戦後、遅かれ早かれ列強植民地の解体・独立が起こることは時代の趨勢でした
まさか日本が参戦しなければ今でもアジア・アフリカは植民地のままだった、などという論を主張している方ではありませんよね

よって、ワシントン体制内に留まり続けるためには更なる植民地の獲得が必要である、という貴方の主張には誤りがあります

さて、議論を打ち切るのは貴方の自由ですし、勝利宣言をするのも貴方の勝手です

ただ、3つの議題についての私の主張である、
①日本の満州権益は守られるか?→英米との協調によって守られる
②ブロック経済に対応できるか?→経済交渉で多少の譲歩は迫られるが、満州事変の帰結点である太平洋戦争の敗戦よりは軽微な損害である
③ソ連の満州侵略に対応できるか?→中国との対ソ提携、英米の支援により対応できる

の3点に関して、私の反駁を不可能とするような有力な証拠を伴った反論を貴方は何一つなしていないことをお忘れなきよう

第三者に判断してもらうことは私も同意します

この議題に関する反論は受け付けますが、この期に及んで別の議論を始めるつもりは私にはありませんので、悪しからず

(Cさん)
②ブロック経済に対応できるか?→経済交渉で多少の譲歩は迫られるが、満州事変の帰結点である太平洋戦争の敗戦よりは軽微な損害である

「多少の譲歩は迫られるかも知れないが、太平洋戦争の敗戦よりは軽微な損害である」となぜいえるのでしょうか? そもそも多少の譲歩を迫られた後どうなるのか、その具体的な道筋と最終的な帰結をまだお聞きしていないのですが‥。

まさかフィリピンのように植民地になった方が、戦火に焼かれるより軽微な損害で済んだなどとおっしゃるのではないでしょうね?

それと、あの当時、ブロック経済化を前に英米協調派は影響力を失い、軍部の強硬派が力を持つようになったわけですが、そうした動きの背景には当時のエリートたちによる真剣な議論の積み重ねがあったはずです。であれば、そうした議論の中からはあなたが主張するような「代案」も当然出ていたと考えるべきです。

まさかあなたは、あなたの代案が当時のエリートたちでさえ考えもつかなかった天才的な妙案だと思っているわけではないですよね?

しかし、それほどの妙案だったのなら、なぜ当時のエリートたちの支持するところとならなかったのでしょうか?

少なくとも、それが検討に値するだけの案だったのならば、石橋湛山の小日本主義のように、そうした案があったものの結局、採択されなかったという記録くらいは残っていてもよいのではないでしょうか?

それが残っていないというのは、それが検討に値するものではなかったからといえるのではないでしょうか?

もし残っているのであれば、教えてください。

(Cさん)
>まさか日本が参戦しなければ今でもアジア・アフリカは植民地のままだった、などという論を主張している方ではありませんよね

植民地というのは定義があいまいなので、ここでは人種差別といいかえます。

差別をなくすには、自らが尊厳に値することを実際の行動で証明してみせる必要があると私は考えています。

どこぞの種類の人たちがやっているように「シャベツだー!」と叫んで抗議デモを行うことはけっして根本的な解決策にはなりません。それはむしろ差別をさらに陰湿で根深いものにするだけだと思います。

では、戦後、国際社会における人種差別が激減したのはいったいなぜなのでしょうか? 私は、その大きな要因のひとつに日本が白人列強国と互角に戦ったことがあると思っています。「勇敢」であることは尊厳さを構成する世界共通の価値観だからです。

また他のアジアアフリカの人たちを勇気づけたことも大きいと思います。勇気もまた同様に世界共通の価値観です。

日本がもしあのとき、白人列強国と真正面から戦わなかったとして、今のようなまがりなりにも人種平等の世界ができていたでしょうか?

自分より強い相手と戦いもせず、ただ自らの利益のみを追求する国が仮に経済大国になったとして真に世界から尊敬が得られると思いますか?

(Aさん)
多少の譲歩を迫られたからと言って、それだけで日本経済が転覆することがないことは確かでしょう
日本は1930年代初頭、世界恐慌の煽りを受けて経済が低迷していましたが、1935年には高橋財政によって国際収支は好転していました
満州国が実際に工業化されて日本経済の支えとなるのは1940年代なので、高橋財政の成功は満州国建国とは関係ありません
また、世界不況下にあっても、三井・三菱といった財閥は不況業種の他分野での補完と投資を行い、安定した収益をあげていました

このように自国のみの力で不況からの脱出に成功する能力のある日本経済が、なぜ多少の譲歩を迫られたからといって終戦以上の被害を出すと言えるでしょうか

このような日本がフィリピンのように植民地化されるというのであれば、その段階を具体例をあげて示してくださいと前から言っています

貴方は「植民地化される」と口で脅すだけで、その植民地化の具体例を示せたことは一度もありませんね

当時のエリート階級全てが真剣に議論した末に、満州事変が勃発したと貴方は本気で思っているのですか
満州事変は関東軍の石原莞爾、板垣征四郎ら一部の関東軍エリートの独断によって起こされた事件です
それに反対し、ワシントン体制を維持する構想は多くの人が持っていました
当時外相であった幣原喜重郎がこの構想を持っていたことは当然として、「西園寺公と政局」を読まれれば西園寺公望もこの体制を支持していたことが読み取れます
「牧野伸明日記」や「奈良武次日記」を読まれたことはおありですか
これらを読めば宮中グループ、そして天皇自身もワシントン体制維持構想を持っていたことがわかります

しかし、満州事変・満州国建国の結果、日本は国際連盟を追放されることとなり、ワシントン体制の修復は不可能になってしまいました

(Aさん)
論点のすり替えを行うのはやめてください
私は人種差別の話をしているのはなく、植民地体制の崩壊の話をしているのです
列強が植民地を喪失すれば、自由貿易を行う際にもはや譲歩を行う必要はないという話です

それを否定したいのであれば、「思います」と「考えます」に彩られた人種差別存続の妄想ではなく、第二次大戦後も植民地が独立しない理由を証拠をあげて示してください

(Cさん)
高橋財政に関してはまた別の問題がありますが、ここでは深入りしないでおきましょう。

まず満鉄併行線問題には具体的にどう対処するのですか?

それと排日運動には?

中国がそれ以前もそれ以後も夷をもって夷を制す政策をとっていたことはご存知ですよね?

(Aさん)
満鉄併行線は厳密には条約違反と言えないものであるため、本来的に日本側にどうこうする権利はないものです
また、満鉄側に多少の経営的損害を与えるものではありますが、それをもって満鉄経営が立ちいかなくなるほどのものでもありません
さらに併行線の一つである打通線は、対ソ線に有利なものとして日本側が積極的に認めたものでもあります
こういった事情から言って、満鉄併行線への介入は必要ないと言えます

排日運動については、対中提携の中で、蒋介石・張学良との交渉を重ねて対処するべきものです

(Cさん)
相変わらず詭弁を弄してますね。

面倒なので、本丸を直接攻めます。

あなたは
>満州事変の帰結点である太平洋戦争
とおっしゃいましたよね。

しかし、満州事変があったから太平洋戦争があったというのは、後付けの見方でしかないと思いますよ。

というのも、あなたがおっしゃるように他のタイムラインが可能だったのであれば、満州事変が起こっても太平洋戦争には行き着かないタイムラインも十分ありえただろうからです。

したがって満州事変があったから太平洋戦争が起こったというあなたの主張は、論理の飛躍であり、なんというんでしたっけ、難しい言葉でいうと前後即因果の誤謬とかいうものではないのですか?

もしそうでないというのなら、満州事変以後に発生する無数のタイムラインがすべて、ひとつももれなく太平洋戦争につながっていると証明する必要がありますね。それを証明できますか?

そしてもし証明できなかったら、あなたのこれまでの議論はすべて「詭弁」であったということになりますね。

(Aさん)
何を言い出すかと思えば…
どんなifの可能性を持ち出してもいいとするならば、太平洋戦争自体を避ける道は「もし日清戦争を起こさなかったら」から、「もしハルノートを受諾していたら」まで無数にありますよ
その中で、「満州事変を起こさない」というポイントこそ、日本が勝ち取ってきたものを失わず、かつ将来に禍根を残さないという点において最も重要なターニングポイントであったというのが私の認識です
それが最初のコメントである「戦争と亡国の一歩目」の言葉の意味です

そのコメントに対しての貴方の議論の発端となった質問が「満州事変を避ける場合、日本はどのような手段を取れば良かったか?」です
この質問から、満州事変を主眼においた議論が積み上がってきました

ある歴史事件を主眼において議論をする場合、その事件までの歴史の流れ、そしてその事件によって引き起こされる以後の歴史を史実通りと仮定して議論を進めることは当然の前提となります
それが変わってしまえば、もはやその事件は我々の知る事件とは違ったものになってしまい、議論が成立しなくなるからです
よって、これを前提とした議論の流れの中で、私が太平洋戦争を満州事変の終結点として言及するのは当然のことです
その前提から疑問とするのであれば、貴方の最初の質問は「太平洋戦争への最も重要なターニングポイントは満州事変ではなく〇〇なのではないか?」等であるべきでした

その前提についての議論もなく、いきなり満州事変を主題とした議論に入り、そしてその議題への反論が全て反駁されて行き詰まるや、前提を否定して積み上げてきた議論を全て否定しようとする…
このような議論の態度をこそ「詭弁」というのです

貴方のこの行動によって、私の中で貴方に対する議論相手としての信頼は全て失われました
以後、このコメント欄において貴方への返信は行いません
他の場面で私に話しかけるのは貴方の自由ですが、その際はきちんと前提を確認した上で議論されることをお願いします

長時間の議論、お疲れ様でした

(Cさん)
>よって、これを前提とした議論の流れの中で、私が太平洋戦争を満州事変の終結点として言及するのは当然のことです

なぜ当然なのですか? 私はあなたが出してきた3つのポイントという立論に従って、議論を進めてきたつもりです(もっともおかしな立論だとは思っていましたが)。

あなたは3つのポイントとして

①それで日本の満州権益は守られるのか?
②それでブロック経済に対応できるのか?
③それでソ連の満州侵略に対応できるのか?

を出してきました。

これに対し、あなたは、「あなたのタイムライン」ならば3つのポイントがクリアできると主張しました。

しかし、いずれも具体性と説得性に欠けていました。それはスレッドを読み返せば誰でもわかるはずです。

とくにブロック経済化への対処の部分は最後まで本筋の問いには答えず、脇道の話で口を濁すばかりでした。

例)満鉄並行線への対処。最後のあなたの答えでは、アメリカの権益拡大を黙ってみていろということになり、日本の経済権益(満州権益)は結局守られないという結論になります。

現在、この部分はうやむやの状態です。

一方、これは満州事変を前提とした「満州事変タイムライン」であっても同じことです。

「満州事変タイムライン」であっても3つのポイントはクリアできるからです。

つまりあなたがいう3つのポイントという立論にしたがえば、どちらのタイムラインも同じであり、甲乙つけがたいことになります。

ではなぜあなたは満州事変のタイムラインを非難するのでしょうか?

ひとつは満州事変が「侵略的」だったからとおっしゃいました。

もうひとつは、満州事変タイムラインがその帰結として太平洋戦争を引き起こした、だから間違いだったとあなたは主張しました。

しかし満州事変が太平洋戦争を引き起こしたというのは前後即因果の誤謬であると私は指摘しました。

それが誤謬である以上、満州事変タイムラインでも、あなたのタイムラインでも、どちらでも太平洋戦争(およびそれに匹敵またはそれ以上の悲劇)が起こりえたし、どちらでもうまく立ち回ることができた可能性があるということが見えてきました。

ということは、論点は、満州事変が起こっても太平洋戦争が起こらず、うまく立ち回れたとしたなら、それをどう評価するか、というところに移ってくるはずです。

それでも満州事変が侵略的だったとしてやはり非難されるのでしょうか?

もちろんあなたのタイムラインでもって、つまり満州事変を起こさないで、うまく立ち回れたとしなら、その方がなおよいのでしょうけど‥。

しかし、ここでどちらの道がそうなる可能性が高かったのかという話になるともう雲をつかむような話であり、実際問題として比べようがありませんし、議論の対象としてもふさわしくないでしょう。

となると最終的には太平洋戦争をどう評価するのか、というところが論点になってくるはずです。

あなたは太平洋戦争以上の悲劇はなかったとおっしゃりました。

しかし、果たしてそうなのでしょうか?

植民地となり、奴隷として生きることはそれ以上の悲劇ではないのでしょうか?

また日本が戦わなかったとして世界の人種差別が自然に解消される方向に行ったのでしょうか?

こうしてみると、おそらく最終的には価値観の相違というところに帰着していたのかもしれません。

できればこのあたりまでじっくり議論できればと思っていたのですが、残念です。

議論相手としてひさびさに骨のある方でしたので、ついつい熱くなってしまったようです。失礼なところがありましたらお許しください。

こちらこそ長い間おつきあいいただきありがとうございました。

(Dさん)
(Aさんへ)
>しかし、本当にアメリカの干渉は読めないものだったでしょうか

当時はね、何もアメリカだけがシナに興味を示していたのではない。
だが日本との開戦とそれとは別の話。商売として考えれば、大日本帝国を破壊せずに資源(勿論石油を含む)を売れば確実に儲かったんだから。満州は日本に任せ、必要とされる資源や工業製品を売れば確実に儲かった。
当時の日本は、工作機や工事現場の重機は、まだアメリカやドイツから買っていたから、日本の傀儡にせよ満州が発展するなら、ドンドン輸出を増やせば良かった。端的に言って、科学力、工業力では、日本はまだアメリカに敵わなかった。
素材、部品、工作機から特許収支までアメリカを追い込む事に成るのは戦後日本である。
アメリカは、満州、朝鮮、台湾を切り離せば、日本は元の小国に戻ると考えたのであるが、これは見当違いだった。結果を見れば逆効果。

ルーズベルトは死期が近付いた時、この戦争を自らの手で終わらせようと考え、その旨を日本に打診したらしいからね。要は個人的に日本と戦争したかったのであり、アメリカの国防と国益とは無関係だった。
事実、確かに自らの希望通り開戦し、見る事は出来なかったが日本を敗戦に追い込んだにも関わらず、シナは共産化し、朝鮮戦争で激突する事に成る。
日本敗戦の当初でさえ、間抜けな事に、関東軍を武装解除したアメリカ軍はシナ共産軍に取り囲まれ窮地に陥り、武装解除した関東軍にアメリカ製の武器を与え、これと応戦する事に成る。

米軍、いや当のルーズベルトもこんな事態を想定してい訳は無い。
勿論、日本の首脳部がこんな面白話のような展開を予想できた訳は無かった。

日本が負けた時、戦勝国の連中は誰もが日本は二度と立ち上がる事は出来ないと確信したが、短期間の復興、産業競争に於ける善戦にも驚かされる事に成る。

(Dさん)
(Aさんへ)
>20世紀に入ってからは、イギリスの例を見ても、植民地から本国への富の流入より、本国から植民地への富の流出が大きくなり、財政を圧迫していたことは広く知られています

産業が大きく育った場所ほど、列強が手放す訳は無かった。
産業が何にも無い場所など、それこそ要りませんよ。

インド総督の年収は、今のお金に換算して数百億円だったと言いますからね。
英国そのものが貿易赤字かどうかなんて、大英帝国の支配層にとっては何の問題でもない。

帝国循環について説明すると、英国領インドが英国に対して貿易黒字を作っていたとしても、その決済通貨はポンドであり、インドサイドが儲けたポンドは英国の銀行のインド支店に預金され、この預金で英国債が買われる。
つまり、英国は対印貿易赤字を垂れ流した処が、結局このポンドは英国に戻ってきた、軍備なり公的固定資本形成(インフラ構築などの公共事業)に使われる。この構図の肝は、決済通貨がポンドである事です。

この構図は、現世界覇権国家であるアメリカとて同じ。
巨大な貿易収支の赤字を抱えていようが、ドル基軸通貨制度が終わらない限り、異常に巨大な軍隊を維持する事が出来る。

>10年間のブロック経済体制の末に起こった第二次世界大戦後、遅かれ早かれ列強植民地の解体・独立が起こることは時代の趨勢でした

これは根拠の無い推論の域は出ません。
アメリカも保護国である日本から簡単に軍隊を撤収する事は有りません。
いつかは在日米軍も撤収するのでしょうが(大英帝国も崩壊した)、可能な限りアメリカは日本の軍事占領状態を維持する筈です。これは日本の産業が貧弱でありアメリカに対して赤字だからではなく、日本の産業が強力であり、アメリカに対して黒字だからです。

もう一つ、如何にアメリカが市場獲得とビジネスとして無益で無用な戦争をやったのか、この資料を見れば分かる。

アメリカによるソ連に対して行った戦時物資供給一覧。

戦車 7056台
飛行機 1万4834機
艦艇(軽巡以外) 500隻
商船 95隻
高射砲 8218門
トラック 3万85883台
ジープ 5万1503台
トラクター 5071台
機関車 1981両
貨物車 1万1157両
食料 404万7000頓
石油製品 267万頓
軍靴 1541万7000足
ラジオセット 1万6000組

であるが、これは無償提供ではなく、戦後アメリカがソ連の石油を採掘するとの約束の上での支援であった。
ソ連はこの約束を悉く反故にする。

因みに、ノルマンディー上陸作戦以降、アメリカ製のシャーマンを震え上がらせたティーガーの生産台数は1300。シャーマンは五万であった。ざっと38倍の物量で性能に勝るドイツの主力戦車を黙らせたが、こんなバカバカしい程の生産力は、普通に販路を拡大する事に使えば良かったのである。当時のアメリカなら十分に可能であった。
大日本帝国を負かした事で、アメリカの産業は販路を拡大する事が出来たのか?
答えは否であり、多大な連合軍への支援は無償提供という結果と成った。

 

ソース:https://www.youtube.com/watch?v=5ASnAiRE0wg

コメント

  1. 九牛 より:

    ロシアに勝って、こいつは、強くなりすぎたと、日本の力を削ごうと、白人国家は、思い出した。
    植民地を増やして、繁栄してきた国は、伸びてくる黄色人種の日本に厳しい目を向けだした。
    そして、行きついたのは、ハル・ノートと思う。
    アメリカは、ハル・ノートで、土下座をさせると、思ったのかもしれないが、日本は、特に軍部は、危機感を持った。
    今後も次々と、要求されると、思えば、戦うであろう。
    弱ければ、植民地になって行くのが、当たり前の時代、白人国家と、張り合い、潰されないために満州国が必要と思う。
    恫喝されて、土下座するには、プライドと、夢も力もありすぎたと思う。
    弱ければ、欧米に飲み込まれてしまう

  2. 石原莞爾 より:

    満州国は結論として作らざるを得ないシロモノだった。地政学的には仕方ない。日本は隣人に恵まれていない不幸な国で、隣が真っ赤な大国ソ連、権力闘争の内戦中でグダグダのチャイナ、馬鹿で弱くて根性悪くてその時の強い者に媚びへつらうプロ奴隷の朝鮮、周りは話の通じないゴロツキしかおりません。朝鮮半島はとりあえず併合政策で大陸と日本との緩衝地帯にできたが、いかんせん朝鮮は頼りない。ということで、もっと緩衝地帯を広げないと我が国がピンチになる。てことで、誰も手をつけてなかった空き地の満州を軍の支配下に置くしかなかったわけです。

  3. より:

    満州国設立が国際環境の説明に終始していて違和感

    満州国はどうゆう国にしたら生き残れたのかという視点はないのか 確かにアメリカに資本参入を認めれば日本外交の対アメリカ軟化は期待できたろう
     だがそれ以前に満州が国力増進することを考えててもいいのではないか
    満州国はまず帝政であるという時点が古くさく感じられたのでは 第一次大戦後帝政は崩壊しまくった 世界のインテリ層には社会主義が特に未来があるという時代だった。 であるなら立憲君主かつ社会主義国家という戦後日本のような政体を目指すのも手ではあったのでは
     日本帝国が影響力をもつ以上共産主義はとれないにしろ過激さがつきまとうボルシェビキまで支持できない大衆は社会主義を選択するものは沢山いたはずだ

    それと大慶油田の開発は必須だろう
     ソ連が革命から1980年代現代ロシアに至るも一貫して石油の収入が重要なファクターであることは論を待たない。 石油が沢山でれば首長国でも国家が成立するのだ

    治安の維持という点で日本はかなり成功を収めたのではないか 経済政策は微妙だ 岸やら革新官僚はやはりだめだったろう

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