どこが残虐非道? 写真が物語る中国戦線の日本兵、その真実の姿

どこが残虐非道? 写真が物語る中国戦線の日本兵、その真実の姿

こちらのブログに戦前の日本兵の姿を映した貴重な写真が多数掲載されていました。→https://plaza.rakuten.co.jp/kiyozou44/diary/?PageId=4&ctgy=0

一人でも多くの人にみてもらいたいと思いましたので、拝借の上ご紹介させていただきます。

※ブログ主様へ。事前にご承諾をいただこうと思ったのですが、連絡先がわからず手前勝手ながら事後承諾という形にさせていただきました。もし不都合がございましたらコメント欄にその旨書き込んでいただけたら幸いに存じます。

 

日本軍入城直後の南京(1937年12月20日)

(キャプション)・・・無心にも戦場の跡に笑い興ずる幼童の姿に、春の歩みを聞くことが出来る(12月20日撮影)

 

天津大和公園の日本軍部隊へ毎日きて遊ぶ中国人の子供

 

中国人の孤児を可愛がる日本兵(1938年)

 

中国人の子供に芸を披露する日本兵

 

 

日本軍兵士と遊ぶ中国人児童(1937年)

 

北京郊外の中国戦死者墓地に参拝する日本軍将兵(1938年3月)

 

中国無名戦士の墓の前で慰霊祭を営む日本兵たち

 

路傍に打ち倒された孫文の銅像に青天白日旗をかけてやる日本兵

 

中国文化に敬意を払う日本軍

孟子廟に参詣する日本軍人の心得

一、孟子は孔子と共に支那人の最も尊崇する偉人なり而して我等日本人にとっても今日に於ける精神的文化の大恩人なり

二、されば此の処に参詣する者は須く故国に於ける神社仏閣に参拝すると同様の心得にて慎み深く行動せざるべからず

三、宣撫班の行ふ百の宣伝よりも此處に参詣する諸子の模範的行為が皇軍の名誉を発揚し支那民衆に日本軍に親しませる観念を扶植せしむるに於いて力あることを忘るべからず

津川隊長

 

※「宣撫班の行ふ百の宣伝よりも此處に参詣する諸子の模範的行為が〜」の部分、これは現代における歴史戦においても当てはまることですね。いかに大多数の日本人が理路整然と無実を訴えても、一部の人が心ない言動をしてしまってはそうした努力が一瞬で水の泡になってしまいます。心したいものです。

 

【おまけ】

こちらもぜひ多くの人に読んでいただきたい文章です。出典は2007年に亡くなられた保守派の論客・名越二荒之助氏のホームページです。

http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/nagoshi/nikkan_696.htm

 

敵兵に敬意を払っていた日本軍

昭和十六年(一九四一)十二月八日、大東亜戦争開戦とともに、日本軍はイギリスの植民地であり、アジア支配の一大拠点であったシンガポールをめざしてマレー半島を南下しました。それは破竹の進撃であつて、翌年の一月末にはシンガポールの対岸ジョホールバルにまで達しました。英国軍に所属するオーストラリア軍は、ジョホールバルの東にあるシェマールアンで、必死の抵抗を試みました。 シンガボールの中学二年用教科書(Social and Economic History of Modern Singapore)は、その時の模様を次のように書いています。

〈オーストラリア軍は、武装を完全に整えて日本軍に対して戦闘体制に入った。ところがその時、半裸の村民たちは(日本軍に味方して)、オーストラリア軍に敵対してくる事が判った。
そこでオーストラリア軍は決死の覚悟を固め、激しい戦闘の果てに二百人がすべて戦死した。この戦によって日本人の戦死傷者は、一千人に達した。
日本兵やその指揮官たちは、オーストラリア兵の勇気に感激した。彼らは敬意を表すために、二百人を葬った墓地の上に巨大な木製の十字架を建てた。十字架には『私たちの勇敢な敵、オーストラリア兵士のために』と書かれた。〉

私はこの事実があったかどうかマレー作戦の中佐参謀であった杉田一次氏に質ねました。杉田氏は、「当時の近衛師団が十字架を建てたことは、聞いている」とのことでした。続いて当時上等兵として戦った中島慎三郎氏(ASEANセンター代表)に聞きました。氏はこう返答してきました。

「そんなことはいくらでもあった。第一山下奉文司令官が偉かった。山下将軍は仏の心を持っていたから、 英兵の死体を見ると、必ず挙手の礼をしていた。司令官がそうだから、我々も勇敢に戦った敵将兵の跡には、十字架や墓標を建てていったのだ。特に我々は中国戦 線で戦ってから、マレーに進撃した。当時の支那兵は 戦意が乏しく、逃げてばかりいた。ところがマレーの英兵は踏み止まってよく戦った。だから尊敬の心が起ったのだ。勇敢な敵兵に敬意を表するのは、当時の習いだった。それは海軍も同じだった。日本の海軍航空隊は十二月十日に英国戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを轟沈させた。すると指揮官の壱岐春記大尉は、撃沈させた後、愛機を現地まで飛ばして、勇敢に戦った英国将兵のために花束を投下したではない か。
日本が英国植民地勢力の牙城シンガポールを陥落させると、アジア諸民族は熱狂した。寺内寿一南方軍総司令官はこの意義をアピールするために、山下将軍に対し、盛大な入場式をやるように勧告した。しかし山下将軍は、敗戦した敵軍のことを思ってとりやめ、敵味方の戦死者を弔う合同慰霊祭を斎行した。」

 

 

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