南京虐殺ーー。その証拠とされる写真はみな偽物だった!
支那事変初期、南京に入城した日本軍が南京市民30万人を理由もなく無差別に殺戮したとして国際的な非難を浴びているいわゆる「南京虐殺事件」。その証拠として中国側が提出した写真がみな偽物であることを証した動画に多くのコメントがついていました。その中から目についたものをいくつか翻訳してご紹介いたします。
●日本の嘘つきどもは真実によって息の根を止められるだろう。
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と嘘つきの中国人が言っています(笑)
●広島と長崎への原爆投下なんてなかったんだよね。あれも日本人がでっちあげた嘘なんだよね。
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お前馬鹿か? 南京虐殺と広島・長崎を同列に比べることなどできるわけないだろ。そもそも南京虐殺には嘘くさい写真以外、何の証拠もないんだぞ。こういうときっとお前はこう言うだろう。「俺の祖母は日本兵にレイプされたんだと」。お前らが出せるのは、せいぜいその程度の嘘っぽい証言だけだろう。
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なんだと、お前こそ小学5年生レベルの英語力しかないくせに俺を馬鹿呼ばわりするのか? 南京虐殺がフェイクだと? 写真が偽物だと? それを言うなら東京大空襲の写真だって同じだろ? あれも偽物なんじゃないのか? 南京虐殺の写真の一部が仮に偽物だったとしても、だったらなぜ日本政府は戦後それをすぐに指摘せず70年間も放置してきたんだ?
写真だけでなく証言や日記だってあるぞ。ジョン・ラーベを知らないか? それにあの当時、フォトショップなどなかったんだから、そもそも写真の改ざんなんぞできるわけないだろが!
●黙れ! これらの写真は本物だ。これが偽物だというような奴は人でなしだ。
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お前は俺のガールフレンドをレイプしたよな。もしそれを否定するならお前は人でなしだ。
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愚かな日本人め。何万人もいる被害者の証言を否定することはできないぞ。犠牲者は今も生存している。それは否定しようのない事実だし、そもそも街全体を襲った巨大な悲劇をなかったことにすることはできないぞ。
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>街全体を襲った巨大な悲劇をなかったことにすることはできないぞ。
それほどの悲劇だったのなら、南京市はなぜあれほど急速に復旧できたんだ? なぜ中国人はそのような地獄の街に喜んで戻ってきたんだ?
●日本人に言いたい。私たちは君たちと君たちの文化を愛している。私たちは君たちをけっして嫌ってはいない。南京虐殺は今を生きる君たちの罪ではない。私たちが憎んでいるのは歴史の真実から君たちを遠ざけようとしている君らの政府のそのやりかただ。
君たちの学校では、真実の歴史を教えていない。しかし私たちには歴史を記憶しておく必要がある。私たちに必要なのは平和と愛だ。どうかそのことをわかってほしい。今日は南京虐殺から80周年記念日だ。平和のために一緒に祈ってくれ。
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ここで君がいう真実というのは、中国人と中国政府にとってのそれでしかない。多くの日本人と同様、私にも南京虐殺という話は到底信じられるものではない。なぜなら、中国共産党政府が出してきた証拠写真とされるものには捏造の疑いがあるからだ。
たとえばある写真に映っている日本兵の刀は、当時の日本兵が使っていた刀ではない。他にもおかしな点や論理矛盾はいくらでも指摘できる。
そもそも中国共産党が1970年代から悪意ある反日プロパガンダを行って来たことは誰もが知っている。多くの日本人が南京虐殺のことを信じられないのはそれが理由だよ。
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中国政府が証拠として出した写真のいくつかは信憑性に欠けるかもしれない。しかし、西洋人の報告はどうなんだ? それに慰安婦のことはどうなんだ? 彼女らの話がみな嘘だというのかい? 南京虐殺では30万人が殺された。その大量の死体は今も地下に埋まっている。
最近公開された資料によれば、22人の中国人慰安婦が今も存命だ。彼女らは誘拐され、慰安婦にされた。彼女らは今もなお悪夢に悩まされている。そのうちの何人かは子供をもつことができなかった。私はその映像を観るたび悲しくなる。刀ひとつが捏造だからといって虐殺全体を否定することなどできないよ。
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一番の問題は、物的証拠がひとつもないということだ。もちろん証拠と称されるものは山ほどある。だが、それらはみな口頭での証言だけだ。それにそこには多くの論理矛盾もある。それらは仮に本当に虐殺があったとしたらありえない矛盾だ。
たとえば、それほどの壊滅的な破壊があったはずの南京市がなぜあれほど速やかに復興できたんだ? なぜ中国人は逃げることもせず、そんな「殺戮の荒野」にわざわざ戻ってきたんだ? 南京はその時以来1945年まで「残虐な」日本軍の統治下にあったんだぞ。
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その「大量の死体が埋まっている」場所というのはどこなんだ?
●俺は以前、南京虐殺が真実だと信じていた。だけど誰かが「あれは中国共産党のプロパガンダだ」と言うのを聞いて、あらためて考えてみた。たしかに共産党はプロパガンダばかりまき散らしている嘘つきだ。だからおそらくこれもそうだと思う。
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もともとこれは国民党のプロパガンダだった。その後、共産党がそれを借用しただけの話だ。中国共産党からすれば以前は国民党が悪者だったが、今は日本が悪者だ。もっとも中国共産党は日本帝国主義以上に悪者だけどね。
●「これらはフェイクだ! 元日本兵の証言もみなフェイクだ! すべてフェイクだ!」そう言って全否定するお前はクレージーだ!
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この写真は中国政府が南京虐殺の証拠として出してきたものだ。しかしこれは偽物だ。これは当時の中国政府によって処刑された満州馬賊の写真だ。
http://blog-imgs-27.fc2.com/h/o/n/honkatu/s-img029.jpg((閲覧注意)
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これは七三一部隊の写真とされるものだが、実際には済南事件で犠牲となった日本人の検屍写真だ。
https://i0.wp.com/china-underground.com/wp-content/uploads/2012/10/unit_731_2.jpg?fit=478%2C300&ssl=1
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お前ばかりでなく他の日本人もそうだが、コピペばっかりだな。
(記事はここまで)
以下、おまけ。コメント欄に秀逸なコメント(日本文)がありましたので、ちょっと長いですが、転載してご紹介いたします。
※日本が悪い事はしてないと言いたいのではありません
1900年、「義和団の乱」で、支那人たちが北京などに駐在していた外国人を大虐殺した。 北京などで自国民が大虐殺された列国は、連合軍を派遣し、ようやく支那人どもによる外国人大虐殺事件を鎮静した。義和団事件はやがて満州にまで飛び火し、ロシア人が殺傷される事件も起きた。
ロシアはそれを口実に満州占領へと乗り出した。 ロシア軍は怒涛のように満州に流れ込むと、街を焼き、略奪し、虐殺し、市民の生活を脅かした。清国北方の治安は大きく乱れた。このとき何よりも怖いのはロシア兵はもとより、清軍の敗残兵だった。兵士が市民から略奪するのは中国伝統の戦争文化とも呼ぶべき慣習で、兵隊とは市民に乱暴狼藉をはたらくものということが常識となっていた。
ところが北京に入城した日本軍はその常識を破ったのである。軍紀は厳しく、末端の兵士にいたるまで非行をすることがなかった。この様子は北京市民にとって有史以来初めて目にする光景だった。これは噂となってたちまち北京市民に知られ市民は布や紙に「日本順民」と書いて日本軍を歓迎したのである。
列国と清国と結んだ講和議定書が「北京議定書」だ。 この「北京議定書」は、英・米・仏・露・独・墺・伊・白・西・蘭・日の11カ国と締結され、外国の軍隊が支那に駐屯し、支那の警察の役割を務めることになった。 今日本では「日米安保条約」による合意の上で米軍が日本に駐留しているように、20世紀前半には「北京議定書」による合意の上で日本を含む列国が支那に駐屯していた。
支那が「北京議定書」による合意の上で支那に駐屯していた日本軍や支那在住日本人を攻撃したために、1937年に支那事変が始まった。
支那事変は、支那共産党が盧溝橋事件を起こし、支那軍が停戦協定を何度も繰り返し破って継続・拡大した戦争。
盧溝橋事件の約3週間後には、支那保安隊が日本人居留民約260人を大虐殺した(通州事件)。 更に2週間後、支那軍は数十万人という大軍で上海の国際租界の日本人居留区を包囲攻撃した。 支那軍機は上海市街地のホテルやデパートを爆撃して民間人や外国人を大量に殺害した。
その後も支那は、日本が提出した和平案をことごとく蹴り、戦争を継続し、支那人民を虐め抜いた。 支那軍による徴発・徴用・徴兵は過酷を極めた。 支那軍は、上海市街地爆撃の他、焦土作戦、黄河・揚子江の堤防破壊(決壊)などによって多くの民衆を殺害し、世界で初めて違法毒ガスを使用したり細菌戦を行なったりするなどの暴虐・悪逆の限りを尽くした。
支那が戦争を始めて、日本が何度も何度も「やめよう。やめよう。」と言ったのに、支那がそれを無視して戦争を継続・拡大して暴虐の限りを尽くした戦争なのだから、日本にとっては自衛戦争以外の何ものでもない。
支那事変では一般民衆にも多くの犠牲者が出たが、それは日本軍の殺害によるものではなく、支那軍の殺害によるものだった。 むしろ、日本軍は、支那軍が殺していた支那民衆を救出することが多かった。 例えば1938年6月、開封が日本軍に占領されると、支那軍は日本軍の追撃を断ち、日本軍を水攻めにするため黄河や揚子江の堤防を決壊させ、河南省だけの少ない見積もりでも32万人、記録によれば89万人とも100万人とも言わる支那民衆を大量に殺害した。
ところが、支那は、この犯行を「日本軍がやった」と嘘報道した。支那軍は自ら堤防を破壊しながら、それを日本軍がしたと逆宣伝したのだ。 更に支那軍は9月23日にも武穴鎮の下流で揚子江を決壊させた。 支那軍は、自分たちが安全に逃げる、ただそれだけのために、夥しい数の支那人民の生命と財産を犠牲にし、お人好しの日本軍に支那住民を救助させた。
1938年10月21日 日本軍は広東に突入したが、支那軍は街に火を放って退却した。國史図書刊行会篇の『支那事変』の254頁には、市街はもうもうと上がる黒煙と炎で包まれ、これを、珠江の対岸から見ている日本兵の姿が写っている。また、255頁には、逃げ遅れた老婆を背負って避難地まで運んでいる日本兵の姿も写っている。
11月13日 支那軍は日本軍が長沙に迫っているとの噂を信じ、長沙の街を略奪・放火した。火は二日間燃え続けたが、日本軍が来なかったため、日本軍に犯罪を転嫁出来なかった。仕方なく、蒋介石は警備や公安の責任者を銃殺刑に処した。
(管理人注:強調は管理人によるものです。これが支那軍のいつものやりかたです。日本軍が進駐した地域は中国以外にも東南アジアから南太平洋、インド東部まで広がってましたが、支那軍もしくは支那人がいない場所で日本軍による「大虐殺」「残虐行為」がほとんど報告されていないのはそのためです。そうした「残虐行為」の多くは支那軍がやったことだからです。
以上のように、支那軍は1937年の支那事変勃発から1945年8月の終戦まで同じようなことを繰り返して支那民衆を殺しまくった。支那軍による徴発、略奪、徴兵等は苛酷を極め、支那軍と支那人民との間で殺し合いが頻繁に起こった。支那民衆を大量に殺害した犯人が日本軍ではなく支那軍だったことは、ルシアン・ビアンコ著『中国革命の起源』や郭沫若自伝『抗日戦回想録』や劉震雲著『温故一九四二』などにも明確に述べられている。
1938.1.4 NY Times
元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。 実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。 この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。 この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。
1938.1.25 NY Times
中国軍の首都放棄のあと、南京に「国際安全区」が設立されたが、多くの中国軍将兵がそこに避難所を求めている。日本軍のスポークスマンである永井大佐は、昨日の記者会見において、そのように主張しつつ、南京の日本憲兵隊の報告を発表した。 報告が主張するところによると、中国軍の高級将校が、館員が退去したあとの外国大使館・公使館の建物に隠れていたことは、確かだという。報告によれば、12月28日までに、23人の中国軍将校、54人の下士官、1498人の兵士が、安全区内のさまざまな建物内から日本軍によって発見された。その報告書の主張するところによれば、彼らのなかには南京平和防衛軍司令官王信労(音訳)がいた。彼は陳弥(音訳)と名乗って、国際避難民の第四部門のグループを指揮していた。また、前第八十八師の副師長馬?香(音訳)中将や、南京警察の高官密信喜(音訳)もいると言われている。馬中将は安全地帯内で反日攪乱行為の煽動を続けていた、と言われる。また、安全地帯には黄安(音訳)大尉のほか十七人が、機関銃一丁、ライフル十七丁を持ってかくまわれ、王信労と三人の元部下は掠奪、煽動、強姦に携わったという。館員が退去したあとの外国大使館・公使館に隣接する防空壕からは、隠匿兵器が発見された。
Diary of John Heinrich Detlef Rabe
一般的にこの日記は日本軍の南京における残虐行為を証言する内容を含むと誤解されているが、実際には中国人の間に日本軍による虐殺の噂があること、安全区において5件の殺人事件の通報があったことを伝えているだけで、ラーベ自身は1件の殺人も残虐行為も目撃・証言してはいない。さらに、日記では日本軍に対する告発のほかにも、難民が避難している安全区に砲台を設けたり、安全区内の空家に潜伏し、放火や掠奪行為を行う中国兵、市民を置いて逃亡した蒋介石政府と唐生智将軍など、中国側にとっても辛辣な記述があり、ラーベ自身も「ここはアジアなのだ!」と記している。
アメリカは、反日プロパガンダ映画「バトル・オブ・チャイナ」で、 日本軍の蛮行を捏造し、日本の民間人虐殺を正当化した。 ザ・バトル・オブ・チャイナ(The Battle of China)は、フランク・キャプラ監督が製作したプロパガンダ映画である。1944年(昭和19年)にアメリカで上映された。 一連のプロパガンダ映画 Why We Fight (なぜ我々は戦うのか)シリーズの6作目にあたる。 東京裁判では、これらのインチキにより、松井石根司令官や、広田弘毅元首相が、死刑にされている。 アメリカ人は、日本軍の蛮行を作り上げることで、日本人大虐殺を正当化したのである。 アメリカは、戦争前、戦争中、戦争後に、情報統制とプロパガンダで事実をゆがめていく。









コメント
アメリカが都合悪いんじゃん。
南京で日本人が悪さしてないと東京大空襲と原子爆弾投下×2の言い訳出来ないし。
by 匿名 2018年4月10日 6:15 PM
南京然り、慰安婦然り、それは一方的な意見のみで、証左も出来ない事柄だ。
故に日本の反論も「意見のみであるという部分」だけでまず同列に扱われるべきであり、本来の議論は、この問題が事実かどうかを検証する所からスタートしなければならない。
更に、意見だけの中韓に対して、日本は事実に基づいた合理的な推論を展開している。
故に中韓は、それに対して反論し、合理的な推論を以て矛盾を解決しなければならない。
それが出来ずに一方的な主張と相手に対しての罵倒を繰り返すだけでは、=それは矛盾のある意見でしかないと、断罪されるべきだろう。
故に、南京の主張に対しては、
・人口20万人の都市で30万人を殺した矛盾の説明
・30万人を殺した翌月には25万人の人口居た矛盾の説明
・30万人もの人間を殺したのに、痕跡も死体も一切見付かっていない矛盾の説明
・資源も人でも戦況も芳しくないなか、1ヶ月で30万=不眠不休で1分に7人を殺すという軍事的には勿論、常軌を逸していたと仮定してもなお、余りにも不合理な行動を取った矛盾の説明
これらの矛盾の説明を、一貫して求めるべき。
それに答えず主張の繰り返しと罵倒とに逃げた場合には、「口だけ」と罵って、更なる相手の幼稚な罵倒や態度を引き出して釣ってやればいい。
それで漸く、虚栄心に満ちて自分本位な態度に弱いモノの方を持っている「つもり」の馬鹿ガイジンも、疑問を持つ事だろう。
by tata 2018年4月9日 8:01 AM
日本は大昔の戦国時代から相手の国の領民を無駄に殺したりしないんだよ。
将来の労働力だからな。
by 匿名 2018年4月8日 4:33 PM
中韓への反論は一言
「真実であるならば、そこに嘘を混ぜる必要はない。ありのままを主張すればいい」
嘘を混ぜる事で自ら全てが嘘だと主張してるのと同じ事だと
by 名無しさん 2018年4月8日 4:23 PM
こういう現実を見れる人間もいるのが中国の恐ろしいところ
頭のおかしいやつばかりだとなめていると足元をすくわれる
by 匿名 2018年4月8日 3:09 PM
歴史論とか政治論で極左だろうが極右だろうが日本を恨んでくれようが思想の自由だと思うけどさ。
①嘘をついたり捏造しないこと
②根拠のない妄想によって相手を誹謗中傷しないこと
③相手に危害を加えないこと
この3つのどれかを破る奴がいる限りいつまで経っても議論は解決しない。
当たり前すぎることだけどその当たり前ができない残念な人が多すぎてうんざりだわ。
by 匿名 2018年4月8日 1:48 PM
これは朝日テレビの「私は貝になりたい」というプロパガンダから生じた。
朝日系列の得意とする半捏造の物語で、加藤哲太郎の手記を都合よく改ざんしている
by 匿名 2018年4月8日 12:05 PM
日本軍が占領した南京で悠々自適の大学生活していたのが、江沢民
by さなゆみちなほ()さらりやゆ 2018年4月8日 11:24 AM
捏造の証しはあるよ。南京の政府側のコメントが全く出てこない事が何よりの証だ。
原爆なんかは直接投下した軍人を始めアメリカ国民も賛否が分かれるがコメントと言うか議論がある。
南京とか慰安婦なんかは無いし出てきても弾圧されて無かった事になる。
どんな事も事実を無視してでも意見って色々出るのが常識だ。
考え方など主義主張何て人の数だけあるのが常識だからね。
そして主義主張は別にしても核心的な証拠が何もないってあり得んのよ。
組織的な犯罪で規模が大きいほど完全犯罪は不可能。
by 名無し 2018年4月8日 11:04 AM