反日プロパガンダをめぐる情報戦の最前線から戦況を報告いたします。歴史戦勝利のための傾向と対策マニュアルになれたらと思います。いうほど速報じゃないですヾ(- -;)

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【必読】「自らを犠牲にして戦う日本兵に勇気づけられた」現地長老が語るインパール作戦の真実

  

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やはり日本兵は極限状態にあっても規律正しかったようです。率直に言って感動しました。良い記事です。ぜひ全文を読まれる事をおススメします。

「日本軍が去った後、村は火の海と化した」目撃者が語るインパール作戦の真実|「終戦記念日」特別寄稿(前編)

「日本軍が去った後、村は火の海と化した」目撃者が語るインパール作戦の真実|「終戦記念日」特別寄稿(前編)

 

以下、記事の抜粋です。

●村人たちは、同じ人間として空腹で苦しむ日本兵たちを哀れに思い、また、日本軍こそが自分たちを英国の手から解放してくれるはずと信じていたから、食料を提供しました。お礼にと、日本人は村人に戦うことを教えました。実際、彼らが自らの国のために身を犠牲にしてまで戦う姿に、ナガの人々は少なからず影響を受けたのです。

●(英雄として住民から高い尊敬を集めていたピゾからの進言を受けた)佐藤中将は、『女性に手を触れた兵士は、裁く前にただちに銃殺刑とする』という厳しいルールを敷きました。

●しかしながら、インド国民軍はモラルに欠け、地元の女性を乱暴することがあったそうです。その結果、インド国民軍と一緒にいた日本兵まで村人の反感を買ってしまったそうです。

●それでもナギ氏は、ほとんどの村で、日本人について好意的な意見を聞いたそうだ。だがある日、日本兵と非常に仲がよかった兄弟に、連合軍側のスパイの嫌疑がかかった。彼らは、村人たち全員の前で日本兵によって斬首された。その村では、当然ながら、今日でも住民の間に反日感情が残っている。

●2ヵ月経って、村の食料が尽きてしまうと、多くの村人たちは連合軍側を支援しはじめました。実際、連合軍側は多くの村人をスパイとして雇い、なかには、兄弟で異なる軍を支援したケースもあったそうです。連合軍側がこういった村人に日本人を殺害するよう、金を渡すケースもありました。

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●英国は、ナガランドを1880年から支配していた。つまり、日本軍が攻めてこなければ、そもそもこのような戦争は起こらなかった。それゆえ、地元の人々は、第2次世界大戦を「日本の戦争(Japan War)」と呼んでいる。

●実際、ナガランドの村のリーダーには、日本軍が来るのをいまかいまかと待ちわびる人もいた。なぜなら噂で、日本人が英国人を追い出してくれると聞いたからである。

●しかし、日本兵は、誰もが自分の最後を悟っているような様子でした。それでもあきらめず自らを犠牲にして渾身の戦いを続ける彼らを見て、ナガランドの人々は日本軍が必ず自分たちを幸せにしてくれると確信していたのです。

●先進的な国とはどういったものなのか、独立するとはどういうことなのか──ナガランドの人々は日本軍に大いに刺激を受け、啓発されました。なかには、『第2次大戦がなければ、ナガランドの人々は、日本人のように勇敢になることも、英国人のように教育を受けることもなかっただろう』と話す老人もいます」とナギ氏は言う。

●ナガランドには、「日本が来て、ナガは立ち上がった(Japan came Naga stood up)」という言葉がある。ナガランドでは独立をかけた紛争が、インド北東部の他州や周辺国に先駆けて始まった。彼らの戦いは、「アジア最長の独立運動」と呼ばれている。だが、日本軍の存在がなければ、戦後のナガランドの独立武装闘争はなかっただろうという意見は多い。

●英国からお金を受け取り、村に滞在していた日本兵の殺害にナガの人々が少なからず関与した事実が世間に明らかになることが恥ずかしいから、出版をやめてほしいと懇願されたこともあった。

全文はこちら→http://courrier.jp/news/archives/93860/

 

こちらもおススメ。

記事にあるコヒマにも近いマパオという村での話です。 →「今もインドで歌われる日本人兵士を讃える歌」を見た(海外を含む)反応

こちらはインパール作戦に従軍した日本兵とタイの村人とのあたたかい交流の話です。 →日本軍残虐説にタイからの異議申し立て。タイ人が建てた親日的な戦争博物館

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