反日プロパガンダをめぐる情報戦の最前線から戦況を報告いたします。歴史戦勝利のための傾向と対策マニュアルになれたらと思います。いうほど速報じゃないですヾ(- -;)

【拡散希望】「南京虐殺」説の裏に隠された中国軍の蛮行 その5 通州事件(閲覧注意!)

  

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南京虐殺は中国軍の蛮行のミラーイメージだ!

日本軍による南京虐殺など真っ赤な嘘です。それどころか、一般の中国人に対して蛮行を働いていたのはむしろ中国軍の方でした。

南京事件の前後、中国軍はいったい何をしていたのでしょうか? じつは彼らこそが掠奪、殺人、強姦を含む非道な残虐行為を働いていたのです。

いまの中国人が非難しているのは現実の日本軍ではありません。そこに映し出された自国軍のミラーイメージです。じつのところ、中国人たちは鏡に映し出された自分たち自身の姿に怒りをぶつけているだけなのです。

そのミラーイメージのもとになった中国軍のおぞましい行状を、左翼勢力によって長い間隠蔽されてきたその歴史の裏側を5回にわたるシリーズで白日の下にさらします。

第一回 漢奸狩り
第二回 支那軍の実態
第三回 督戦隊による残虐行為 
第四回 安全区内での中国兵による犯罪 
第五回 通州事件 ←今ココ

「南京事件」の前後、中国軍が行っていた悪行のまとめ その五、通州事件

本日7月29日は、ちょうど80年前の今日、日中戦争を不可避にしたといわれる通州事件が発生した日です。

通州事件とは?

通州事件(つうしゅうじけん)とは、1937年7月29日に中国の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊に所属する中国人部隊が日本軍守備隊および特務機関を襲撃し、同時に在留日本人223名を惨殺した事件です。その殺害方法がきわめてむごたらしく猟奇的だったことから日本人の対中感情の悪化はピークに達し、国内世論も「支那討つべし!」の一色に塗りつぶされたと伝えられています。盧溝橋事件後に発生した中国側による度重なる挑発事件と相まって日中戦争を不可避にさせた事件といわれています。

駆けつけた日本軍救援部隊

新聞記事

東京日日新聞
「通州で邦人避難民三百名殆ど虐殺さる/半島邦人二百名も気遣はる」
「通州の事態 憂慮消えず」「惨たる通州叛乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐極まる暴行」

東京朝日新聞
「掠奪!銃殺!通州兵変の戦慄/麻縄で邦人数珠繋ぎ/百鬼血に狂ふ銃殺傷」
「ああ何といふ暴虐酸鼻、我が光輝ある大和民族史上いまだ曽てこれほどの侮辱を与へられたることがあるだらうか。悪虐支那兵の獣の如き暴虐は到底最後迄聴くに堪へぬ……恨みの七月二十九日を忘れるな」
「痛恨断腸の血 衂られた通州」「惨!痛恨の通州暴虐の跡」

アメリカ人記者が報道した通州事件

当時中国を取材していたアメリカ人ジャーナリストフレデリック・ヴィンセント・ウィリアムズは1938年11月にBehind the News in Chinaを刊行し以下のように報道しています

日本人は友人であるかのように警護者のフリをしていた支那兵による通州の日本人男女、子供等の虐殺は、古代から現代までを見渡して最悪の集団屠殺として歴史に記録されるだろう。それは1937年7月29日の明け方から始まった。そして一日中続いた。日本人の男性、女性、子供たちは野獣のような支那兵によって追い詰められていった。家から連れ出され、女子供はこの兵隊の暴漢どもに暴行を受けた。それから男たちと共にゆっくりと拷問にかけられた。ひどいことには手足を切断され、彼等の同国人が彼等を発見したときには、ほとんどの場合、男女の区別もつかなかった。多くの場合、死んだ犠牲者は池の中に投げ込まれていた。水は彼等の血で赤く染まっていた。何時間も女子供の悲鳴が家々から聞こえた。支那兵が強姦し、拷問をかけていたのだ。
— Frederick Wiliams、Behind the News in China, New York: Nelson Hughes Company,1938.

https://babel.hathitrust.org/cgi/pt?id=uc1.b4518375

 

目撃談

守備隊の東門を出ますと、ほとんど数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっているのを目撃し、一同悲憤の極みに達しました。敵兵は見当たりませんでしたので夜半までもっぱら生存者の収容にあたりました。「日本人はいないか」と連呼しながら各戸毎に調査してまいりますと、鼻部に牛の如く針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等からそこかしこのゴミ箱の中や壕の中、塀の陰などから続々這い出して来ました。
某飲食店内には一家ことごとく首と両手を切断され惨殺されているのを目撃しました。婦人と云う婦人は十四、五歳以上はことごとく強姦されておりまして全く見るに忍びませんでした。

旭軒という飲食店に入りますとそこにいた七、八名の女は全部裸体にされ強姦、刺殺されており、陰部に箒を押込んである者、口中に土砂をつめてあるもの、腹部を縦に断ち割つてあるもの等、全く見るに堪へませんでした。

東門の近くのある鮮人商店の附近に池がありましたが、その池には首を縄で縛り両手を併せてそれに八番鉄線を貫き通し、一家六名数珠つなぎにして引廻された形跡歴然たる死体がありました。池の水は血で赤く染まつて居たのを目撃しました。

かくして一応の掃蕩を終了しましたのは夜の九時過ぎであつたと思ひます。それまでに私の掃蕩担任地域内で目撃しました惨殺死体は約百名で、収容しました重軽傷者は約二十名と記憶しております。これらの死傷者中には発狂している者も若干ありほとんど茫然自失の状態でありました。
(桜井文雄・支那駐屯歩兵第二連隊小隊長の証言)

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閲覧注意

城内はじつに凄愴なものでいたるところ無惨な日本居留民の死体が横たわっていまして、ほとんど全部の死体には首に縄がつけられてありました。いたいけな子供の死体や婦人の虐殺死体はほとんど見るに耐えませんでした。(略)私は直ちに城門を閉じ、城内の捜索を始め残っていいる日本人を駆り集めました。七、八百人おりました日本人で集まつて来たのは百五十名位でありまして三百五十名位は死体として発見されました。残り二、三百名はどこかへ逃げたか、あるいは虐殺されたか不明でありました。

旭軒とかいう飲食店を見ました。そこには四十から十七、八歳までの女七、八名は皆強姦され、裸体で陰部を露出したまま射殺されておりました。そのうち四、五名は陰部を銃剣で突き刺されていました。家の入口には十二、三歳位の男子が通学姿で射殺されていました。家の内は家具、布団、衣類等何物もなく掠奪されていました。その他の日本人の家屋はほとんど同様の状態でありました。

商館や役所の室内に残された日本人男子の屍体は射殺または刺殺されたものでありますが、ほとんどすべてが首に縄をつけ引き回した形跡があり、血潮は壁に散布され、全く言語に絶したものでありました。

錦水楼という旅館は凄惨でありました。同所は危急を感じた在通州日本人が集まった所であったようで、大量虐殺を受けておりました。玄関、入口付近には家財、器具が破壊散乱し、目ぼしきものはほとんど掠奪され、宿泊していた男子四名は座敷で射殺されていました。錦水楼の女主人や女中は数珠つなぎにされ手足を縛られたまま強姦され、ついには斬首されたということでした。

ある日本人は夫婦と嬰児の三名で天井裏に隠れ、辛うじて難を逃れていましたが、その下で日本人が次から次へと虐殺されてゆくのを見たと私に告白していました。
(萱島高・支那駐屯歩兵第2連隊長)

閲覧注意

 

廊下の右側の女中部屋に日本婦人の四つの屍体があるのを見ました。全部もがいて死んだようでしたが銃殺の故か屍体は比較的綺麗であつて、唯、折り重なつて死んでおりましたが一名だけは局部を露出し、上向きになつて死んでいました。室内の散乱は足の踏み場所もないほどでありました。

次に帳場配膳室に入りました。ここに男一人、女二人が横倒れとなり、あるいはうつぶせに、あるいは上を向いて死んでおり、ここの屍体は強姦せられたか否かは判りませんが、闘った跡は明瞭で男は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のようでありました。女二人はいずれも背部から銃剣をつきさされた跡が歴然と残つていました。

次に廊下へ入りました。階下座敷に女の屍体二つ、これはほとんど身に何もつけずに素つ裸で殺され局部はじめ各部分に突き刺した跡を見ました。

次に二階において四五人の屍体を発見、これは比較的綺麗に死んでおり布団をかぶせてありました。ただ脚や首や手が露出しておるのを見ましたが布団をはがす気にはなれませんでした。

池において二三人の屍体が浮かんでおるのを望見しましたが側へ行つて見る余裕はありませんでした。

市内某カフエーにおいて、 私は一年前に行つたことのあるカフエーへ行きました。扉を開けて中へ入りましたが部屋は散乱しておらずこれは何でもなかつたかと思ひつつ進んだ時、一つのボツクスの中に、素つ裸の女の屍体がありました。これは縄で絞殺されておりました。カフエーの裏に日本人の家がありそこに二人の親子が惨殺されておりました。子供は手の指を揃えて切断されておりました。

路上の屍体 南城門の近くに一日本人の商店がありそこの主人らしきものが引つぱり出されて、殺された屍体が路上に放置されてありました。これは胸筋の骨が露出し内臓が散乱しておりました。
(桂鎮雄少佐・通州第2連隊歩兵砲中隊長代理)

 

当時中国人男性の妻であった大分県出身の日本人女性の目撃証言もあり、それを聞き書きした調寛雅が自著で発表している。それによれば主犯は保安隊員と中国人学生であり、かれらは胎児を妊婦の腹から引きずり出す、その父親を数人がかりで殺して腸を引きずり出し、切り刻んで妻(妊婦)の顔に投げつけたという。これらは通州市民の面前でおこなわれた虐殺であったが、市民はそれに対し無反応であり、虐殺後の日本人をみても同情の念を示すのではなく、身につけていたものを剥ぎ取るばかりであったという。

(以上、ウィキペディア「通州事件」より)

南京虐殺は通州事件のミラーイメージである

注目すべきなのは、この通州事件の際にみられた猟奇的な虐殺方法が、いわゆる南京虐殺の際に発生したとされるそれとうりふたつなことです。近代史研究家の中村粲氏は「頭部切り落とし、眼球抉り取り、胸腹部断ち割り、内蔵引き出し、陰部突刺などの猟奇的な虐殺方法は中国軍特有のもので、日清戦争以来のお決まりのパターンである」と述べていますが、一方の日本にはそのような猟奇的な集団虐殺の伝統はありません。中国政府が主張する「南京虐殺」なるものが中国人自身の残虐性が生み出したミラーイメージでしかないことは、ここからもうかがえます。

中国の凌遅刑(閲覧注意)

背後にあった中国共産党の影

この事件の背後にどのような勢力があったかについてはいまもなお謎とされています。しかしいくつかの有力な説に共通しているのは、そこに「中国共産党の影」が見え隠れすることです。

事件を引き起こした保安隊隊長であった張慶余は「冀東保安隊張硯田の部隊にも中国共産党支部が結成されていた」とその回想録で述べていますし、また当時中国を取材していたアメリカ人ジャーナリストのフレデリック・ヴィンセント ウィリアムズもその著書の中で「事件の背後には中国共産党の工作があった」と記しています。

盧溝橋事件を引き起こしたのが中国共産党だったこと、その後も各地で頻発した挑発事件の裏に中国共産党がいたことなどを考え合わせると、この通州事件の背後に誰がいたのかも容易に想像がつくのではないでしょうか?

東京裁判で無視された通州事件

極東国際軍事裁判では、弁護団が通州事件についての外務省の公式声明を証拠として提出したところ、ウエッブ裁判長によって「証拠価値なし」として却下されてしまいました。東京裁判がいかに不公平ででたらめな裁判であったかはこのことからもわかります。

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