やさしかった日本兵をタイ人は忘れない クンユアム戦争博物館ー日本兵とタイの村人が育んだ友情の証

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封印が解かれた日タイ交流秘史 インパール作戦で傷つき退却してきた日本兵を必死で看護してくれたタイの村人たち

 

タイ北部にある日本兵との交流を記念して建設されたクンユアム第二次世界大戦博物館に関する動画を二本ご紹介します。

 

Mae Hong Son Province – The fascinating Japanese/Thai WW2 Museum in Khun Yuam

メホンソン地方ークンユアムにある第二次世界大戦時の日泰交流を記念した魅力的な博物館

(動画の大意)


北部タイに興味深い歴史的スポットがある。

ここは第二次世界大戦中、日本軍にとって重要な戦略的拠点のひとつであり、またビルマ攻略に失敗した日本兵が退却してきた場所でもある。


負傷した約6000名の日本兵を哀れんだタイの村人たちは日本兵をやさしく看護した。そのことを記念して建てられたのが1996年9月9日に開館したこのクンユアム第二次世界大戦博物館である。

1941年12月21日、日本とタイは同盟を結び、互いにイギリスとアメリカに対抗することを約束した。


日本軍はこの村に駐屯した。その見返りに日本軍は軍医による医療サービスを村人に提供した。

日本兵と村人はそれぞれが提供できることを互いにシェアしあった。そうするうちにやがて両者の間には兄弟のような強い絆が生まれた。

こうしてこの地には当時の日本兵の影響がいまも色濃く残ることになった。


博物館には、日本兵の軍服やヘルメット、軍票、弾薬、刀剣などが展示されている。

ビルマ戦線から退却してきた日本兵の多くは負傷していた。マラリアにかかっていた者もいた。食べ物もほとんどなく、持っていたのはわずかな米と塩とショウガだけだった。また手足がない人も数多くいた。

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その姿に憐れみを覚えた村人たちは懸命に日本兵を看護した。


館内には建設工事に使用された日本製のトラックも展示されている。その他、燃料缶や工具箱、さらに食器や調理用具などもある。

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1939年にはじまり1945年に終わった第二次世界大戦。そのまったくの無益さの中にも愛というものが存在していたことを私たちは思い起こすべきである。

できるだけ多くの人がここを訪れてそれを感じ取ってもらえたらうれしい。

 

The Bridge over River Pai – Thai Japan WW2 Friendship Memorial Hall! 戦後に架ける橋 クンユアム

(以下コメント)

●私は以前、日本が第二次世界大戦で悪玉だったという嘘を信じていた。しかし調べてみたらそれがまったくの嘘であることに気づいた。日本は戦争などしたくなかったし、あの当時、他の国がそうであったように日本もまた侵略の脅威に直面しており、そのような国際情勢の中、ただ自分の国を守ろうとしていただけだった。君は素晴らしい人物だ。神のご加護があることを祈る。これからもいいビデオを作り続けてくれ。

 

●日本人の友人は以前、タイ中部のナコーンサワン県で日本の餅が作られていることを不思議がっていたよ。そこで僕はこう教えてやったんだ。「それは君たちの祖父が残していったものだよ」と。

 

●私たちの祖父たちのことをいまも覚えていてくれるタイの人々に感謝したい。連合国はしばしば日本兵を血も涙もない悪魔のような人間だったというが、実際の日本兵はそうじゃなかった。彼らは私たちと同じく祖国を愛し、そして日本もその一部であるアジアを西洋植民地主義から解放したいという願いをもつ普通の日本人だったんだ。

戦時中にもかかわらず、また異なる文化の人たちが互いに友情を育むのは素晴らしい。しかし君は「日本兵が悪魔のようだった」という描写が連合国のプロパガンダだというが、それは違う。

(以下、日本兵の残虐行為は史上最悪のものだった、死の鉄道、南京虐殺、慰安婦を調べてみろ、といった記述が続きます)

 


(管理人後記)

コメントは1年前から2年前のものであり、そのせいか最後のように時代錯誤的なコメントもあります。

当時を知るタイの元運輸大臣ジャルーン・チャオプラユーンさんは、「私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、帰還する最後の一兵までを知っている。クンユアムの日本兵は村人と共に働き、お互い協力して生活していた。カンチャナブリの博物館で宣伝される日本軍とは違う。優しかった日本兵を私は忘れない」と話しているそうです。

↓こちらにその話が載っています。

日本軍残虐説にタイからの異議申し立て。タイ人が建てた親日的な戦争博物館

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7件のコメント

<メモ>
200人以上もの日本人が血の海に沈んだ通州事件。まさに地獄絵図そのものというべき惨劇の中にあっても日本人犠牲者たちはその矜持を失うことがありませんでした。そのことを示すエピソードをここに記しておきます。


以下は、通州事件の体験者が事件直後に記者を囲んで語った座談会での発言です。


廣田 (略)門より一番端の洋車引の王の家に逃げ込みました。銃火は益々激しく砲弾の炸裂する音響は屋根をも動かすかと思はれました。その内に又、道路にドヤドヤと足音がした。すると、鋭い声で『日本人はかくれろ、日本人はかくれろ』と叫ぶのが聴こへました。叛徒に拉致されながら自分の身を省みず他人に注意しているのだ。


大橋 さうだ、あの声は今でも耳に残っているね。普通なら『助けてくれ』と叫ぶ処なんだが、あれが日本人の真面目なんだね。内地の人によく伝えて下さい。


廣田 それから『静かにしろ、黙れ』という支那語が聞こへたが、なおも『日本人はかくれろ』と言ふものだからズドンと銃声がしたのです。多分殺されたのでせう。

(『慟哭の通州』加藤康男著 飛鳥新社)



  1. 朝鮮人日本兵が残虐だったんでしょベトナム戦争を見れば解る様にね。

    日本人日本兵が残したライダイハンの様な問題はないでしょ。

    韓国からもイルボンハン(日本と韓国の混血児)の問題など提起されてないしね。

  2. エラの張った吊り目の日本兵は
    残虐だったと思うわ 弱者には特にな。
    それだけは申し訳ないと思う

  3. これはタイ人が優しい人達だったてことだと思う。
    だから日本兵も安心できて、そういう関係になれたんじゃないだろうか。
    引き上げの時にも優遇してもらったし、本当に感謝したい。

  4. 全ての日本兵が残虐だったとも思わないがその逆も有りえない話だと思います。
    戦争は多くの人間を不幸にしその遺恨を世代を超えて残す事になります。
    理性的に人殺しが出来るなんてそっちの方が異常性を感じます。

    • それは戦争に関わらず一国の国民全てが善人ではないということと同じだと思います。
      日本の治安は他所の国に比べるととびきり良いわけですが、しょっちゅうどこかで遺体が発見されるし、残虐な殺人事件も起きている。
      兵士一人一人の行動の良し悪しを批判しても仕方ないのです。

  5. >しかし君は「日本兵が悪魔のようだった」という描写が連合国のプロパガンダだというが、それは違う。

    悪魔と悪魔が戦っただけやなw