【速報】インパール作戦から73年 インド北東部で追悼式典

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本日5月20日は、第33師団がインパールの南15kmのレッドヒルまで到達した日です。

インパール作戦とは、1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のこと。補給線を軽視した作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。(by WIKI)

(産経ニュースより転載)

http://www.sankei.com/world/news/170520/wor1705200062-n1.html

インパール作戦から73年「感無量です」 インド北東部で追悼式典、日本側から40人参加

第二次大戦中、旧日本軍がインド北東部の攻略を目指して惨敗した「インパール作戦」から73年となり、日英両軍が戦闘を交えたインド北東部マニプール州インパールで20日、犠牲者の追悼式典が行われた。

式典は70年を迎えた2014年から毎年実施。今回は戦地の1つとなった隣接するナガランド州当局者も初めて参加、日本側からは平松賢司大使やインド進出の企業関係者ら約40人が訪れた。

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英国から現地を訪れたマクドナルド昭子さん(66)は、父が旧日本軍の陸軍中尉としてインパール作戦に参加した。「この地で多くの人たちが命を落としたことを考えると、感無量です」と、涙を浮かべた。

マクドナルドさんは、日英の和解と理解を目指す在英の民間団体、ビルマ作戦協会の代表を務めており「戦争の現場を歩くことは戦争を考える上で重要。今後も訪れたい」と話した。(共同)

http://www.sankei.com/world/news/170520/wor1705200062-n1.html

インパールの慰霊碑に参拝(プラがね: 旅ログ)
http://phraganet.exblog.jp/24721038/

【インパール作戦】日本人はとても親切で我々インド人を兄弟姉妹のように扱ってくれた

日本軍残虐説にタイからの異議申し立て。タイ人が建てた親日的な戦争博物館

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2件のコメント

<メモ>
200人以上もの日本人が血の海に沈んだ通州事件。まさに地獄絵図そのものというべき惨劇の中にあっても日本人犠牲者たちはその矜持を失うことがありませんでした。そのことを示すエピソードをここに記しておきます。


以下は、通州事件の体験者が事件直後に記者を囲んで語った座談会での発言です。


廣田 (略)門より一番端の洋車引の王の家に逃げ込みました。銃火は益々激しく砲弾の炸裂する音響は屋根をも動かすかと思はれました。その内に又、道路にドヤドヤと足音がした。すると、鋭い声で『日本人はかくれろ、日本人はかくれろ』と叫ぶのが聴こへました。叛徒に拉致されながら自分の身を省みず他人に注意しているのだ。


大橋 さうだ、あの声は今でも耳に残っているね。普通なら『助けてくれ』と叫ぶ処なんだが、あれが日本人の真面目なんだね。内地の人によく伝えて下さい。


廣田 それから『静かにしろ、黙れ』という支那語が聞こへたが、なおも『日本人はかくれろ』と言ふものだからズドンと銃声がしたのです。多分殺されたのでせう。

(『慟哭の通州』加藤康男著 飛鳥新社)



  1. 感無量って良いことでなくても使えるんやな
    一つ利口になったわ